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第2話 大神官さまとの謁見
ここに残ってくれたたった一人の女性は、エリーナと名乗った。
「この身よ、上へ上へ……高く舞い上がれ」
エリーナさんが謳うように囁くと彼女の足下が光り、音もなく浮いたことで、この世界に魔法とやらが存在していることを知った。
さすが異世界。
でも、身体を浮かすことができるのは術者本人だけらしい。
重い物をもって飛ぶことはできないらしく、私が彼女の身体にしがみつくと、まるでパラシュートを付けているかのように、ゆっくりとした速度で地面へと落下していった。
こうして私は無事、地上に降りることができたのだった。
エリーナさんはとても親切だった。
先ほど他の人たちが見せていたような失望を、私には一切見せなかった。
歩きながら話を聞くと私と同じ年齢らしく、私たちはすぐに意気投合した。彼女も、周囲に同じ年頃の女性がいないらしく、嬉しそうに笑っていた。
そして、
「私の案内はここまでです。これから大神官さまと謁見して頂き、詳しいお話をお聞きください。どうぞこちらへ」
そう言ってエリーナさんは扉を開いた。
扉を開いた先には、
「ようこそお越し下さいました、異世界のお客さま」
そう言って席を立ち、両手を広げて迎えて私を迎える、大神官さまの姿があった。
私を普通の人認定したときは、厳しくちょっと怖い印象を受けたけれど、今私の前に立つ彼女からは友好的なオーラが感じられる。
気品のある、人の良さそうなお婆さんって感じだ。大神官さまの纏う優しい雰囲気に、ホッと胸をなで下ろした。
少なくともエリーナさんと同じく、私が普通の人だったことに対し、敵意や失望感をもっている様子はない。あえていうなら、私への申し訳なさが感じられた。
エリーナさんは大神官さまにそっと耳打ちをすると、一礼し、扉を締めて立ち去ってしまった。
勧められたソファーに座ると、大神官さまも腰をかけた。六十歳後半ほどの年齢っぽいのに、シャキッと背筋を伸ばして座る姿がとても美しい。
「さて、セタホノカさま」
「はっ、はい！」
突然フルネームで呼ばれ、上ずった声で返事をしてしまった。そんな私に、大神官さまが優しく微笑む。
「エリーナより、貴女さまのお名前をお聞きいたしました。私は、この国――【ノルドーハ神聖国】の母神であらせられる樹木神ホーリーに仕える者、名はヴァレリアと申します。この度は、この世界とは無関係である貴女さまに多大なるご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした」
大神官さま――ヴァレリアさまが、深々と頭を下げられた。
どういった事情で私が召喚されたのかは分からない。だけどヴァレリアさまの様子を見る限り、私の召喚は彼女が意図したものではないことが伝わってくる。
「あ、あの……先ほど私はただの人認定されたのですが……そ、その……聖女じゃないからって追い出されはしない……ですよね？」
役立たずは追放だ、というWEB小説で読んだ一場面が……いや、山ほど読んだ場面が脳裏をよぎる。
ヴァレリアさまは一瞬驚いたように瞳を見開いた。でもすぐに私を安心させるように微笑むと、両手を胸の前で組みながら深く頷いた。
「もちろんです。ただ聖女さまではないため我々の保護対象にはならず、この世界で生きていく力をご自身で付けて頂かなければなりませんが……ホノカさまがこの国に慣れ自立して生活できるまで、私たちがお助けいたします」
ヴァレリアさまが、私を安心させるように微笑まれている。
良かった……追放される系の世界に召喚されなくて、本当に本当に良かった……
「で、何故普通の人間である私が召喚されたのですか？」
「それは……我々にも分からないのです。聖樹が何故、聖女さまではないホノカさまを召喚したのか……」
「聖樹が私を召喚……さっき誰かがそんなことを言ってましたね」
ヴァレリアさまは頷くと、ゆっくり説明してくれた。
この世界アリステリアは、三神によって創造された世界。
三神は世界に三本の聖樹を植え、それを守るように三つの国が興った。ノルドーハ神聖国は、そのうちの一つだ。
この国は、樹木神ホーリーさまと聖樹を崇める神殿が治めている宗教国家で、ファンタジーのお話で例えるなら、神殿内のトップであるヴァレリアさまは女王、そして今私がいる神殿は王宮みたいな感じみたい。
ノルドーハ神聖国では、魔樹と呼ばれる存在が昔から人々を悩ませていた。
魔樹とは、瘴気と呼ばれる毒を吐き出す植物のこと。
瘴気を吸い込むと酷い胸の痛みが発生する。少しだけなら胸の痛みと一定時間魔法が使えなくなるくらいの影響しかでないけれど、大量に吸い込むと死に至るらしい。
普通の植物に魔樹の種が取り憑き、魔樹化するのだと分かっているが、そもそも何故魔樹が現れたのかなど謎に包まれている。
昔、大陸の南の方に突如現れた魔樹は瞬く間に広大な魔樹の森となって、吐き出される瘴気によって多くの人々が亡くなった。
対処法もなく皆が絶望する中、聖樹に一人の女性が現れる。彼女は、魔樹から人々を守るために聖樹の導きによって別の世界からやってきたと告げ、魔樹の森に強固な結界を張ることで人々を瘴気から守ったのだという。
結界の効果は有限だったが、そのたびに聖樹に導かれた聖女さまが現れて結界を修復し、ノルドーハ神聖国は魔樹の脅威に晒されながらも、聖女さまの結界のお陰でずっと平和を保ってきたのだ。
しかし最近、国内で原因不明の魔樹化現象が起こっているらしい。
国内で発生する魔樹化の原因を調べているけれど、原因は特定できていないのだという。
もしかすると、結界に限界が来ているのではないか。
ならばそろそろ聖樹が聖女を召喚するのではないか。
そう思った矢先、現れたのが私だった。
そりゃ、皆失望するだろうなあ、うーん。
「異世界の聖女さまには皆、頭の上に【無限の輪】の印があり、召喚された役目をご存だったと文献にございます。しかしあなたは……」
「何も知らないし、【無限の輪】っていう印もなかった」
「はい、その通りです」
「それで……元の世界には……」
「……誠に申し訳ございません。聖樹の導きによってこの世界に召喚された者を元の世界に帰す方法は、今も分かっておりません。何とお詫びを申し上げたらよいのか……」
慈愛に満ちた微笑みが辛そうに歪み、再び頭を深く下げられた。いかなる非難があっても、全てを受け止めるという気持ちが伝わってくる。
本来なら、元の世界に帰せと泣き叫び詰め寄る場面なんだろう。どんな理由があって召喚されたとしても、召喚された当人から見ればただの誘拐なのだから。
だけど私の心は、ヴァレリアさまの表情とは正反対にホッとしていた。
「頭を上げてください、ヴァレリアさま。元の世界に未練はありませんから大丈夫です」
「……えっ？ 未練が……ない？」
私の言葉に、ヴァレリアさまは拍子抜けしたような声とともに頭を上げた。
もの凄い困惑が伝わってくるぞ……
あれ、私、今ちょっと聞き間違えた？ っていう不安が伝わってくるぞ……
「えっと……ご両親やご兄弟などは……」
「私は一人っ子で、両親はもう他界しています。親しい友人もいませんし、私がいなくなって悲しむ人はいません」
「そ、そうでございましたか……」
困惑したヴァレリアさまの視線から、もの凄く可哀想な子感がひしひしと伝わってくる。
でも、全て本当のことだから隠す必要なんてない。
「ですから何も知らない私に、この国での生き方を教えてください。これからどうぞよろしくお願いいたします」
「……寛大なお心に感謝いたします、ホノカさま。我々は責任をもって、あなたさまの生活を助けていく所存です。エリーナを貴女の生活の補佐として付けますので、何かご不明な点があれば、彼女にお聞きください」
「ありがとうございます」
元の世界では正直、私は上手く生きられなかった。だけど、こうして文字通り全く違う世界で生き直す機会を得た。
だから今度は恐れない。
だから今度は失敗しない。
他人に振り回されるのではなく、自分のために生きたい。
誰も私のことを知らない、この世界で――
そう心に誓いながら、私は両手を強く握りしめた。
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