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第5話 馬鹿なのかな?
何度も往復をして水やりを終えると、土の湿り具合の項目が赤色の光が緑色に変わった。
文字が読めないから予想でしかないけれど、間違いは無いはず。
そのうち、文字も読めるようにならないと。
おおっと、何故言葉が通じているのかは、深く考えてはならないファンタジーのお約束だぜ?
薬草園内に建てられた管理室内に入る。
薄暗い廊下の左右には複数のドアが並んでいて、建物の広さの割には部屋数が多いのが分かる。ドアの上のプレートに何か書いてあるが、今の私のレベルでは読めない。
私が目指すは、廊下を突っ切った先にある事務所スペース。ノックをして中に入ると、ソファーに寝転んだ状態で怠惰の権化が声をかけてきた。
「遅かったな、ホノカ」
「あれだけの広さでしたからね。人が真面目に仕事している間、誰かさんは寝ていらっしゃったようですけど」
「寝ていたわけじゃないぞ? ただ目を閉じて、何も考えていなかっただけだ」
「それを巷では寝てるっていうんですけど知ってます?」
「……マーク35地区の環境情報を開け。お、ちゃんと土の湿り具合が正常値になってるな」
私の突っ込みは華麗にスルーされた。
畑ステータスを消すと、アリエスは壁に貼った薬草園の地図を顎でさす。
「そこに書いてある番号が畑の地区番号だ。呪文の頭に畑の地区番号を入れれば、環境情報を開くことができる。だからしっかり頭に入れておけよ」
「……頭に入れるどころか、文字が分かんないんですけど」
「あ」
ほーらー! ヴェレリアさまが言ってたじゃん!
生活に慣れ、基本的な読み書きができるようになれば仕事させるって言ってたじゃん!
アリエスは大きくため息をつくと、シャツの胸ポケットに刺してあった鉛筆をさしだした。
「なら今から畑の地区番号を伝えるから、お前の元いた世界の文字でメモっとけ」
「あ、はい」
てっきりまた馬鹿にされたり、役に立たないと鼻で笑われると思ってたのに意外な対応だ。
鉛筆を受け取り、壁の地図に言われた番号を書き留めていく。全てを書き終えると、寝転んでいたアリエスがこちらに近づき、興味深げに地図を見た。
「ふぅん、異世界の文字ってこんな感じなのか」
「まあ文字って言っても、数字ですけどね」
そう言いながらノルドーハ神聖国の文字らしきものを見る。
まるでイスラム語のような、ふにゃふにゃと曲線を描いた特徴がある文字だ。
なるほど。
……わからん。
「まあいずれお前も、この国の文字が読み書きできるようにならないとな。この国の文字は、三十五字の組み合わせからなっているから覚えるのはそこそこ大変だぞ?」
「……え? たった三十五字覚えればいいんですか? 意外と少ないんですね」
「え? たった三十五字って、他国と比べると多い方なんだが?」
まあ英語だと二十六文字だし、それと比べれば多い方だろうけど、こちとら世界で一番文字を覚えなければならない国の住人なんだぜ?
「私が使っていた言語は、ひらがな四十六文字、カタカナ四十六文字、漢字に至っては二千文字あるんですけど」
「に、二千文字……?」
「あ、漢字は全部覚えてないですけどね! でもそのほかに、ローマ字としてのアルファベット、アラビア数字も含めると、全部で五種類の文字を覚えないと生活できない国なんで、それと比べると少ないなーって」
「……お前が住んでた世界の人間、頭どうなってるんだ? なんだ? その日の気分によって文字を使い分けるとかしてんのか?」
「そんなオシャレ感覚で使うもんでしたっけ、文字って」
「俺は三カ国語使えるが、その日の気分で使い分けるぞ? 最近は、一つの文章の中に色々な言語を交ぜるのが楽しい」
んー……馬鹿なのかな?
「まあそれくらい優秀なら、この国の文字もすぐに習得できるんだろうな。楽しみにしてんぞ。ま、そのうちそっちの世界の文字も教えてくれ」
嫌みったらしく言うと、アリエスはまたソファーに戻って寝転がった。
くっ、怠惰が……
その時、
「ホノカさん、そろそろ仕事が終わると思って迎えに来ましたよ!」
やってきたのはエリーナさんだった。
彼女の満面の笑みに、私もつられて笑顔になる。
だけど感動の再会に水を差してくるのが、奴なわけで。
「大騒ぎするなら外でやれ。こっちは疲れてるんだ。ホノカ、初日の仕事はここまでだ。エリーナに部屋の案内をしてもらってさっさと休め。明日はもっと覚えることが増えるから、心しておけよ」
「……分かりました。お疲れ様でした、アリエスさん。お先失礼いたします」
ほぼ棒読みでアリエスに挨拶をすると、私はエリーナさんの手を引っ張って管理室を出た。
薬草園を出ると、再び笑顔を浮かべたエリーナさんがにこやかに尋ねてきた。
「ホノカさん、お仕事どうでした? 何とかやっていけそうですか?」
「うん、まあ……ね」
人間関係的にはめげそうだけど。
私の返答を、文字通りにとったエリーナさんがパッと表情を明るくした。
「それは良かったです! もしお仕事中に何かあったら、アリエスさまに言って貰えたら大丈夫ですよ」
「そうなの? あの人、何だか頼りないっていうか適当っていうか……」
「そんなことないですよ!」
意外にもエリーナさんは大きく首を横に振った。
「あの方は薬草園の管理人をされていますが、その傍ら、魔樹に関する研究を独自でなされ、国に貢献されているのです。魔樹を駆除できる唯一の魔法【浄化の炎】を開発されたのはアリエスさまなのですよ? それまでは魔樹が枯れるまで、神官たち総出で結界を張り続けていて大変だったんですから。聖女さまの結界とは違い、消耗が激しいわりに効果も短いですし」
「へぇー……」
「まあホノカさんの言うとおり、やる気なさそうですし怠惰ですし、態度悪いですし、起きてる時間よりも寝てる時間の方が多いですし、顔からはいつも生気が抜けてるので、誤解されても仕方ないとは思いますけど」
可愛い顔して、さらっと毒吐くのな。
だけどフフッと笑うエリーナさんの表情には、アリエスに対する侮蔑は感じられない。
なんだあのおっさん。
自分の時間の確保をしたがってたけど、もしかして魔樹研究のために?
そんなことを考えながら、私たちは神官達が暮らす寮へと向かった。
まさか次の日……あんなことが起こるとも知らずに。
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