第7話 薬草園のお仕事ルーティーン

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第7話 薬草園のお仕事ルーティーン

 私の一日は一杯のコーヒーから……ではなく、 「アリエスさんー、起ーきーてーくださ――っい‼」 「やっ、やめろ……耳元で叫ぶな……」 「ならさっさと起きてください! それに今日薬草研究員の方に渡す薬草が、見当たらないですけど! 昨日、朝にはここに置いておくって言ってましたよね⁉」 「あっ……いや、俺は何も知らない、何も聞いてない、何も見てない」 「今、ヤッベーって思いましたよね! 間違いなく忘れてましたよね⁉」 「布団を無理矢理剥がすなー‼ 俺は寝るぞ、まだ寝るんだ――っ‼」 「三十二歳のおっさんが駄々こねても、ただただ哀れなだけですよ!」  てな感じで、寝起きの悪すぎる上司を起こすところから始まる。何が悲しくて、アラサー男の世話をせにゃならんのだ……  一応、この建物内に寝室はあるみたいだけど、この世界に召喚されてから二ヶ月経った今も、利用してるところ見たことない。もはや、管理室の仕事場である事務所は、完全にアリエスのプライベートスペースと化している。  こんな感じで上司を無理矢理起こし、さっさと神官寮の食堂で朝食を食ってこいと部屋から追い出すと、掃除を始めた。  脱ぎ捨てられた服や、食べ散らかされたままの食器を下げると、テーブルやソファーを綺麗に拭く。下に落ちたゴミをホウキで掃き、ぞうきんで水拭きをする。行きがけに詰んできた花を花瓶に生けテーブルにのせる。  元の世界でも、よくこうして就業前に掃除をさせられたな。就業時間開始前にしないといけなかったから、早く出社しないと周囲から睨まれたっけ。  チラッと上司の机の上を見ると、積み上げられた紙の束が増えていた。あまり詳しい話は聞いていないけれど、あれがアリエスが独自で行っている魔樹の研究記録ならしい。  彼の研究は主に夜中に行われている。いつも眠そうにしているのはそのためだ。多分、夜中に活動すると妙に集中できるからだろう。  分かるぞ、その気持ち。  夜は静かだから、集中できるもんね。  紙の束が増えているということは、研究が進んでいるのだろう。  何故薬草園の管理人である彼が、独自で魔樹の研究をしているかは分からない。だけど日々積み上がっていく紙の量を見ていると、無気力系上司の本気が窺える。  自身が課されている仕事と趣味(?)の研究の配分が明らか間違ってる気がするんだけど。  掃除を終えると薬草畑に出た。  今日も緑の匂いが濃い。胸いっぱいにマイナスイオンに満ちあふれた空気を吸い込むと、汚れた息を吐き出した。  そして首にかかった水色の石のネックレス――魔力が込められた魔石に触れる。これを首にかけておくことで、魔力のない私も魔法が使える。  アリエスが言っていた、魔力供給の方法とはこのことだった。  ヴァレリアさまの魔力が石に込められていて、普通に生活するなら一ヶ月は軽くもつ。魔力が尽きる頃には、ヴァレリアさまとの面談があるから、そのときに新しい魔石と交換して貰う手はずになっている。  とはいえ正直、畑ステータスを見るときぐらいしか魔法は使っていない。  私たちが日常生活で使う道具には術が施されており、触れれば勝手に魔力が流れ、指定された動きをするようになっているからだ。  だからわざわざ呪文を唱えて魔法を使う場面がない。  お陰で魔力をたくさん消費して飛行魔法を使わなくとも、電動キックボードのような乗り物で広い薬草園を移動することが可能となって、かなり移動が楽になった。  シャーっとキックボードを走らせながら、畑ステータスを確認する。そして薬草の様子で気になる部分があれば、それをメモしておく。  オールグリーン。  今日も皆、元気いっぱいだ。  水やりが自動化されている畑から水が噴き出した。畑に這わせているホースに開けられた無数の穴から水が出てくる仕組みだ。どうやって時間どおりに水が噴き出すかはアリエス曰く、企業秘密なんだという。  このあとは一旦管理室に戻り、午後から畑の見回りをする。それが終われば必要な物の買い出しに行き、多分寝ているであろうアリエスを起こして今日の報告をし、そのままだとまたご飯を食べずに眠ってしまう上司にご飯を食べに行かせる。  これが私の毎日のお仕事ルーティーンだ。    元の世界では仕事漬けで、自然と触れあう機会なんてなかった。  だけど毎日畑を見回っていると、薬草たちに愛着が湧いてくる。  文句一つ言わず、すくすくと育っていく薬草たちの日々の成長を見るのは楽しいし、無事収穫できたときの喜びはひとしおだ。  それに土に触れていると心が落ち着く。  身体を動かしているからか体調もすこぶるイイ。  始めは上司の性格があまりにもアレだから詰んだと思ったけど、今ではこの仕事を楽しんでいる自分がいる。  だけど――  私は指定された場所の水やりを終えると、管理室に戻った。  丁度入り口に、緑色のローブを着た男性が立っている。今日来る約束をされていた薬草研究員の方だ。 「すみません、お待たせしましたか?」 「いえ、丁度来たばかりです」  キックボードを入り口付近に置くと、私は研究員の方と一緒に管理室の事務所に入った。  アリエスはいない。多分お客さんが来るって言ったから、どこかに逃げたんだろう。    綺麗に掃除したソファーにお客さんが座るのを確認すると、アリエスが用意したと思われる薬草の入った紙袋を渡した。袋がぐちゃっとなっているところを見るかぎり、慌てて準備した姿が浮かび上がる。  中身を確認した研究員が、ニコッと笑った。 「異世界の方がここの管理人補佐となると聞いたときは驚きましたが……今ではホノカさんが来てくださって良かったと思っています」 「え、そうですか? 私なんてまだまだ仕事に慣れなくて、失敗ばかりですよ?」 「そんなことはないです。少なくとも、ここに薬草を依頼しにきた者たち、皆言ってますよ? ここに来て腹を立てて帰らずにすんだのはいつぶりかって。いつもならアリエス殿に、ないもんなないんだよっ‼ あっても渡さねえよ‼ って突っぱねられるのに」  あの男、理不尽の塊か。 「あなたが間に入ってくださったお陰で、本当に助かってます。ありがとうございます、ホノカさん」 「い、いえ……私は当然のことをしてるまでですから……」 「その【当然】ができない人がいますからねぇ。それにあの人に真っ正面から意見できるなんて、本当に勇敢な女性だって思ってるんです」 「勇敢というか、やられっぱなしはムカツクから、というか……あははっ……」  そ、そんな風に見られているなんて……  私だって、元の世界では、会社の上司に口答えしたり言い争いをしたりなんてできなかった。ただ黙って、言われたことだけをこなしていた。  でもこの世界で生き直すと決めたから。  生まれ変わった新しい自分として生きたいと思ったから――  研究員の方が立ち上がったので、私は玄関までお見送りをした。  彼は振り返ると手を差し伸べてきた。 「あなたには皆が期待しています。どうかこれからも、我が国の薬草研究のため、アリエス殿との橋渡しをよろしくお願いいたします」  期待――  その言葉に、私は反射的に口を開き頭を下げていた。 「はっ、はい‼ 皆さんの期待に応えられるよう、精一杯頑張ります!」  研究員の方のお見送りが終わると、今度は午後の見回りに行く。  朝とは違い、心が重くて堪らない。  あんなことを言ったけれど、上手く橋渡しができなかったらどうしようという不安で苦しくなる。  そんな中、午前中に水をあげた畑の前を通ると、案の定枯れていた。  その事実が、再び私の心を深く暗いところに沈めていく。  私は未だに、上手く薬草を育てられていない。
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