5.不協和音

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 翌朝、衣都は失意の中で響と顔を合わせた。  衣都がリビングにやってくるなり、響はダイニングチェアから立ち上がった。顔色と発熱を確かめるために衣都の前髪を掻き上げ、ペタペタと頬を触っていく。 「身体の調子はどう?」 「すっかり良くなったみたいです。心配かけてごめんなさい」 「それはよかった」  響は安堵すると衣都の頬にキスを贈った。  日常のひとつとなった何気ない行動だったが、衣都はついビクンと身体を揺らしてしまった。 「……衣都?」 「なんでもないです」  不審に思われないうちに話題を変えようとしたその時、大きなスーツケースが目に留まる。 「その荷物……」 「ああ、本当は昨日言おうと思っていたんだけど、今日から二週間ほど北米に行ってくる」 「お仕事ですか?」 「ああ。港湾ストライキが予定よりも長期化しそうでね。僕が現地に飛んで対応する必要が出てきたんだ」  四季杜海運が所有するコンテナ船は世界中の港を駆け巡っている。港がひとつ封鎖されただけでも、その影響は計り知れない。副社長の響がその場で陣頭指揮を取る方が、問題も早く終息するのだろう。   「クリスマスも、ニューイヤーも一緒に過ごせそうもない。本当にすまない」 「あ、いいえ。私は別に。気にしないでください」  世間一般が長期休暇にも関わらず、各所への根回しと雑務仕事に追われる響を誰も責められない。  それに、響が海外出張に行くと聞いて、どこかホッとしている自分がいる。  響は勘が鋭い。衣都の作り笑いと空元気がいつ見破られるかわからない。  今はまだ、響の傍で普通にしていられる自信がなかった。 (響さんが望むなら、愚かな妻役だって演じなきゃ)  一度開いてしまった心の距離は、どうやっても縮めようがなかった。
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