7.春を寿ぐ旋律

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7.春を寿ぐ旋律

「おば様!扉を開けてください!」  衣都は扉の向こうにいる綾子に必死で訴えた。 「ごめんなさいね、衣都ちゃん。私を許して」  啜り泣く綾子の声が次第に遠ざかっていく。  閂で塞がれた扉は押しても引いても開かなかった。  衣都はなす術もなく、扉の前でくずおれた。 (どうして、おば様)    梅見の会でピアノを披露できなければ、衣都を花嫁に選んでくれた響の面目は丸潰れになる。  そうなったら終わりだ。秋雪が衣都に二度目のチャンスを与えるとは思えない。 (どうしよう!)  助けを呼ぼうにもゲストルームに衣都がいないことを知っているのは綾子だけだった。  響も他の招待客も全員大広間で酒宴を楽しんでいる。  迂闊なことにスマホも置いてきてしまった。 (どうにかしてここから出ないと)  衣都は薄暗い土蔵の中を見回した。  出入口はあの開かずの扉がひとつ。窓らしき窓は、衣都の頭上四メートルほどの位置にある明かり取り用の小さな窓だけだ。  土蔵の中には、古びた椅子や木箱、行李などが保管されていた。  これらを積み上げたら、明かり取りの窓に手が届くのではないか。衣都の体格なら、身を乗り出せば外に出られそうだ。柱に縄をくくりつけて、窓の上から外に落としておけば、縄を頼りにして安全に降りられるかもしれない。  ただし、万が一途中で体勢を崩したら無事ではすまないだろう。  それでも。 (私は響さんと結婚するって誓ったのよ)  クルーズ船での約束を忘れるはずがない。衣都の目に迷いはなかった。
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