7.春を寿ぐ旋律

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 響は土蔵から衣都を連れ帰り、ゲストルームで律が医師を連れてくるのを待った。  しかし、待てど暮らせど戻ってくる気配がない。  当たり前だ。  招待客は政財界の人間ばかりだ。医師免許を持っている人間などいるはずがない。  プログラムを一部変更し、衣都の出番を遅らせたが、同じ手は二度は使えない。  響は頭の中である決断を下した。 (今回は諦めよう)  ピアノを弾くためには鍵盤の他にも、足元にあるペダルを操らなければならない。右足を負傷した状態でピアノを弾くなんて無理な話だ。  ところが、衣都は演奏を中止にする気はさらさらないようだ。 「響さん、テーブルの上の譜面を取っていただけますか?」 「無理しない方が良い。演奏は中止にしよう。父さんにもそう伝えてくる」 「中止にはしません!右足がダメなら左足でペダルを踏みます!だから!」 「衣都……」  衣都の気持ちはよくわかった。この日のために練習を積み重ねてきたのだ。悔しいに決まっている。  秋雪から次のチャンスが与えられるかも、今のところはわからない。  それでも響は自分の決断を翻すつもりはなく、衣都も頑として首を縦に振らなかった。  互いに譲らず、事態が硬直し始めたその時、律がひとりの男性を連れて戻ってきた。
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