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(みんなに迷惑をかけてしまったわ)
応急処置と着替えを済ませた衣都は響に支えられるようにして大広間に向かった。
律の言う通りだった。
ズキズキとした右足首の痛みは、時間が経つにつれ明らかに増していた。
気休めとして市販されている鎮痛剤を飲んだが、痛みは一向に消える気配がない。
でも、弱音を吐くつもりはなかった。自分の我儘を最後まで貫き通してみせる。
「衣都……」
衣都を支える響の手に力がこもっていく。本当に大丈夫なのかと心配そうに揺れる響の眼差しに、衣都は笑顔で応えた。
「平気です」
足首の痛みはともかくとして、あんなことがあった後だというのに、心は不思議と静かだった。
まるでさざなみひとつない穏やかな湖面のよう。
透き通った水の中に身体を浸し、木の葉のように浮いているみたい。
思えばこの数ヶ月、激動の日々を送っていた。
ピアノさえあれば生きていけると思っていたのに、あまりにも多くのものを望んでしまった。
けれどもう、響のいない人生など考えられない。
響とともに大広間に足を踏み入れると、衣都は招待客から温かな拍手で迎えられた。
響が傍に寄り添い、人を掻き分けながら、ピアノまで歩いていく。
テラスの窓の前には既にグランドピアノが準備されていた。
スツールに座り、鍵盤を前にすると、一切の雑念が振り払われた。
招待客のざわめきが遠ざかっていく。
衣都は大きく息を吸い、愛する人を見つめた。
そして。
(私にできるのは心をこめてピアノを弾くことだけ)
――渾身の力を込めて、鍵盤を指で弾いた。
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