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「まさか……しきたりのことを前もって説明しなかったのはわざとですか?」
「だから、言っただろう?『全部、衣都にあげる』って」
少年のような笑顔は、響と出逢ったあの夏を彷彿とさせた。
心を閉ざしていた自分を温かく受け入れてくれた、響に恋をしたあの夏だ。
衣都が言葉に詰まったその時、インターフォンが鳴った。モニターを見に行った響は、口の端を上げ楽しそうに笑った。
「随分と早く来たな」
インターフォン越しに来客と会話をした、その数分後。
響はセキュリティロックを開け、目的の人物を部屋の中まで招き入れた。
「響さ~ん、頼まれたもの持ってきましたけど……って衣都?」
「兄さん?」
リビングの扉の裏に隠れて、玄関の様子を窺っていた衣都は口をポカーンと開けた。
やって来たのは衣都の兄である律だった。
いつも眠たそうな特徴的な垂れ目と、休日だからという油断が垣間見える見事な寝癖は、まごうことなき兄のものだった。
「ありがとう、律。仕事が早くて助かるよ」
「あ、いや。それは別にいいんですけど……どうして衣都が響さんの部屋にいるんですか?」
指をさされ、衣都は困ってしまった。
自分ですら今の状況を把握できていないのに、律にどう説明したらいいのか分からない。
「律には先に言っておくよ。僕達、結婚するんだ」
再び『結婚』の二文字が響の口から飛び出てきて、衣都は生きた心地がしなかった。
一方、律の驚きはそれほどでもなかったようだ。
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