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「衣都、迎えに来たよ」
「響さん……」
運転席から姿を現したのはやはり響だった。
宣言通り、仕事場までわざわざ衣都を迎えにやって来たのだ。
昨夜は律が妻子と暮らすファミリーマンションに泊めてもらったが、それが単なる一時しのぎであることを衣都も理解している。
その証拠に響の目は衣都を逃すまいと、鋭い光を放っている。
「まだ……仕事が残っているんです。待っていてもらってもいいですか?」
「わかった」
逃げる意思がないことを明らかにすると、響は聞き分けよく素直に応じた。
響は一度こうと決めたら、意見を翻さない。
それは四季杜というやんごとない家系に生まれた響の傲慢さの表れであり、意志の強さでもあった。
事務室に戻りレッスン記録をひと通りつけ終えた衣都は、タイムカードを押すと近隣の駐車場で待っている響の元へと向かった。
「遅くなってすみません」
響は衣都の姿を見つけると、恭しく助手席のドアを開けた。
「ゆっくり律と話は出来たのかい?」
「はい」
途中で自分のマンションに寄ってもらい、当面必要な荷物をボストンバッグに詰めた。
衣都を連れ帰りご満悦になった響に肩を抱かれながら、一度は逃げ出したレジデンスへと戻っていく。
最初からこうなることはわかっていた。他に選択肢はない。衣都は早々に諦めに似た境地へ達した。
「この部屋は好きに使っていい。昨日の内にひと通り必要な物は揃えておいたから」
「ありがとうございます」
間借りした部屋にひとり残されると、ようやく緊張が緩んでいく。
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