3.5.君にしかけた甘い罠

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(これは、完全にバレたな……)  盗み聞きしていることを、隠したつもりもなかったが、それでも気まずいものがある。 「これからは気をつけて」 「待って……!」  足早に離れから立ち去ろうとすると、シャツの裾を掴まれ引き留められてしまった。  裾を持ったまま手を離そうとしない衣都に、次第に戸惑いが大きくなっていく。 「どうしたの?」  何か言いたげにしている衣都に声をかけてやると、ようやく伏せていた顔を上げてくれた。 「いつも美味しいチョコレートを、ありがとうございます。ひ、響さん……」  頬を紅潮させ恥じらう衣都の笑顔を見たその時、響の頭にかつてないほどの衝撃が走った。  ――屋敷中のチョコレートをかき集めて今すぐ衣都に差し出したい。  愚かな衝動を辛うじて抑え込むことができたのは、ちっぽけな自尊心のおかげだ。 「それだけ言いたかったんです……。引き留めてごめんなさい」  衣都は務めて明るくそう言うと、スツールに座り直し、再びピアノに向かい始めた。  響は這う這うの体で離れから自室に逃げ帰った。 「冗談だろう……?クソッ……」  あまりにも信じられないことが起きたせいで、普段はつかない悪態が口をつく。  チョコレートなんて陳腐なアイテムで彼女の気を引こうとした理由がわかった。 (僕は衣都の笑った顔が見てみたかったのか……)  芽生え始めたこの感情に名前をつけたらおしまいだ。  頭ではわかってはいても、自分の意志でどうこうできるものではなかった。
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