プロローグ:奪う生き方で

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プロローグ:奪う生き方で

 人々はダンジョンから受ける豊かさを享受していた。  食料も宝石も燃料も魔道具もあらゆる富はダンジョンから始まる。  世界に突如現れたダンジョンは、スキル持ちと呼ばれる特殊な人間たちによって次々と攻略され、同時に社会は急激な成長を遂げていた。  一方で、経済格差が生まれる。  ダンジョンからの富は一部の人間に独占され、その富を受けられないものは貧しくなっていく。  そして、ダンジョン周辺はダンジョンへ向かう冒険者から高い金額で商品を買ってもらおうと商人が集まって発展し、その豊かさのおこぼれをもらおうとあらゆる層が集まる。  治安が悪化し、商店街のすぐ近くに貧民街が形成されていった。  奪い奪われる世界、商人はダンジョンの富のために用心棒を立てて対策をしながら商売を続けている。  これは貧民街で奪い奪われるだけの生活をしていた主人公が、その身に宿る最高ランクスキルを駆使して巨大ダンジョンを攻略するまでの、【愛】と【成り上がり】の物語であるのだが……。 「やだ、いやだッ!」  早朝、日が僅かに昇って。 紺青色の乱れた髪、真っ黒な服を着た幼い少年は、追手から逃げていた。  相手は斧を背中に持つ大男。  少年は手に持っているパンを齧りながら、何度も後ろを見る。  差は広がっている、しかしレンガ造りの建物が並んでおり、走った先には抜け道がなかった。 「おい、小僧。何度目の盗みだ? 慣れてやがるな。ここは無法地帯、子供だろうが殺してやる!」 「やだ」  少年は振り返って大男に向かう。  大男は斧を振る。  爆風で少年の身体を吹き飛ばした。  斧は地面に突き刺さっている。 「やだ!」 「お前、わざとか?」  少年は建物の屋根に着地する。  そのまま屋根と屋根の間を跳ぶ。  大男が慌てて走り出す瞬間、少年は屋根から下りて姿を消した。  視線を保ちながら走るのは難しく、少年の姿を一瞬逃す瞬間がある。  その隙に姿を消すことで、大男は完全に盗人の姿を見失った。 「う、う。やだ、やだ」  少年は物陰でパンを食べ終える。  言葉をほとんど理解できないし、治安が悪い貧民街でよく聞く「やだ」という言葉しかまともに発音できない。  家族や友人、仲間という概念も、商人や冒険者も理解できない。  群れを作る人もいる、食料を独占する人間がいる、命を脅かす人間がいる、その程度の認識だった。  奪い奪われる世界で、少年はいつも満足に食べていた。  生存本能からくる知恵と、この世界で生き抜くだけの身体能力を有している。  名前をもたない少年は、たった一人で生きていたのだ。 「やだ」  貧民街に戻る。  商店街で昼を迎えるより貧民街の方がましだと認識している。  それに用心棒は光が少ない状況で少年の姿を覚えることはできないだろうが、早朝に見た少年をその日の昼に見つけてしまえば、雰囲気から気づかれる可能性がある。  一度、見つかったことがあったのだ。  一方で日を跨げばその危険は大幅に減ることも、経験として理解していた。 「やだ」  昼に家を出る住民の家に入って、盗んできた新品の服に着替える。  脱いだ服を抱えて、貧民街から少し遠い水場を目指す。  水場の管理人に手持ちの銅貨を差し出して、水浴びをする。  少年は身体に臭いを付けないことが盗みにおいて有利に働くことを理解していた。  いかに見つからずに目的のものに近づけるか?  そのためには、体臭は天敵だ。 「ん」  それから貧民街に戻って、通りがかる人々に物乞いをしながら眠る。  他の貧民街の住人に何も持っていないと思わせるためでもある。  これが最も安全に眠ることができる。  そして、早朝になったらまた盗みに出る。  それが少年の生き方だった。
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