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時忘れの術
「リーナ。ちとよいかね」
十月半ばのある日、リーナがジンに助けられてから半月ほどしたある日のことだ。
村長がリーナを呼び出した。胸騒ぎがした。村長なんて偉い人が、わざわざ自分のような娘っ子に何の話だろう。
村長はリーナを連れて、村のはずれにある古井戸あたりまでやってきた。古井戸の水が涸れたのは二百年も昔、ということもあり、木々の茂るそのあたりは「なにか秘密のこと」を密談する目的でしかここの村の人は行かないと言われる。リーナも来るのは初めてだ。
「山火事になりかけた時のことを覚えているかい」
村長の、白髪と同じように見事に白くなった眉が、ヒクヒクとしているのが見える。
リーナは「老木に火がついて、三本の木に引火した」というその様子を村長に話す。けれど気づいたのだ。あの木はジンが癒したはず。思った通り、村長はこう続けた。
「火事で焼けたとおぼしき老木を猟師が見つけた。ただ、わたしも連れていってもらったが、その周りの木は異様に青々としててなあ。火事の面影もなくてなあ。ハハハ」
村長はひとしきり、たいして面白くもなさそうに笑うと、木に留まったメジロを目を細めて見ている。
「もしかして、エルフが治したのかな? 木を」
無邪気な質問。それが老いた村長の口から放たれた。メジロに話したようだけれど、そうではなかった。
村長は、その後も、二、三の質問をリーナにしたけれど、その目はもう険しくない。凪いで優しい表情だった。
「古い言い伝えがあるんじゃよ。この村には『エルフのお隣さん』がこっそり住んでいる」
しばらくリーナと話したのち、村長は言う。どこか愉快そうにくつくつ笑いながら。
「ユーガの母さん、ミユリの家系も、確かに相当古の時代より、エルフの血を薄く引いている。ユーガの『エルフの炎』は、亡くなったミユリの力を受け継いだしるしじゃ。しかし、そうではなく。五百年前にエルフの郷が滅びた時に、小さなエルフの男の子が命からがら一人で、避難してやってきた、と古い紙に記されておる。確かにその紙は、代々の村長に受け継がれておる」
村長の言葉に、リーナは目を見開いた。
「その子はどこに行ったのか。いや、本当はどこに行ったのでもなく、この村に今もひっそり暮らしておるんじゃ。ただ、どういうわけか誰も気づかない。
『時忘れの術の詩』というのが村の子供が歌う詩にあってなあ。リーナ、お前のおばあさんならわたしよりうまく歌えるだろう」
村長の歌はうまくはなかったけれど、リーナの心には心地よい風が吹く。
木々は、リーナの淡い恋心をうつしたように、赤々とところどころ色づき始めて染まっていた。
そう。リーナは気づいてしまったのだ。ジンの正体に、うっすらと。
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