炎の魔方陣

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炎の魔方陣

 たくさん実った蜜柑をハシゴに乗って収穫しながら、ジンは昔のことを思い出していた。 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  十七歳のミユリは、蜜柑をもぐのを手伝いながら、さりげなく口にした。 「ジン。あなたってほんと変わってるね。わたしが小さな頃から、ずっと二十五歳あたりで年が止まってる。どうして?」  無邪気なふうを装って、計算し尽くされた質問だった。ミユリは蜜柑をもぐのの手伝いの間に、ジンが何百歳かを超えたエルフであることを聞き出してしまった。彼女は、ジンが村人みんなにこっそりかけ続けている「時忘れの術」が効かない体質だったのだ。 「大丈夫。誰にも言わない」  ミユリはいたずらっ子のように微笑む。  やがて彼女は裕福な商人の家の長男と恋愛結婚して、息子のユーガを授かった。  ミユリは息子のユーガを連れて、自分の小屋によく来た。  野菜や果物を買う、という名目ではあったけれど、悩みの種はユーガの「力」のこと。 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ 「『エルフの炎』の力を使いたがる癖がある。この子は悪い子だから」  三十歳のミユリは唇を噛み締める。美しい唇にうっすらと血がにじんだ。その血をぬぐおうともせず、ユーガのことを憎しみにも近い目で見ている。四歳のユーガは無邪気に、五個目の蜜柑を食べて指をべとべとさせていた。   「なあ。ユーガ。一回、思い切りその力を使ってみないか」  ジンはユーガと目線を合わせて言う。ユーガの目の色がパッと輝く。少し腕白な、同年代の中では自慢げな性格がうかがえた。 「いいの? 俺、ずっとがまんしてたんだ。でも、にいちゃんは俺の力をわかってないだろ」  蜜柑の皮を投げ捨て、目に見えてウキウキしてるユーガを、ジンは草の枯れた空き地に移動させた。すると、何も言われてないのに、地面に落ちていた木の棒でユーガは線を迷いなく引く。魔法の炎を呼び出す円陣、魔方陣だ。この年で、これだけ正確に線を引けるのか。 「ミユリが教えたのかい」  違うとわかってはいる。けど、ミユリに一応、ジンは聞いた。 「違うのよ。教えてなんかいない。だから怖いんじゃない」  ミユリははっきりと、ユーガの力を恐れている。幼いユーガにはそのことがわからないのか。 「円陣はそれだけかい?」  あえて、ぶしつけな質問を投げてみる。ようやく描き終わったと言いたげな、ユーガの満足げな顔が、とたんに怒りで真っ赤になる。 「もっと描ける。俺、描けるよ。ほんとは。我慢してるだけだから!」  ユーガは描く手をゆるめない。  円陣はより複雑になる。 「エルフの炎、か」  ジンは不思議な思いで、ミユリの隣で、ユーガとその円陣を見ていた。  確かにミユリの血筋だから、円陣を生まれつき描けても不思議はないかもしれない。ミユリの力だって、ご先祖の中の誰よりも強かった。この男の子はいい魔導士になれる。  そう。その素質はある。でも、性格が「悪い」。  ジンはユーガをそのまま放置する。ミユリのことを制止しながら。ユーガは、ついには地面に円陣ばかりでなく、文字までも書き殴り始めた。 「この子は『炎の精霊』に魅入られてるのかもな」  あえて、事態が軽く聞こえるように、ミユリに伝えた。ミユリは「こんなことって」とワナワナと震えて青ざめている。 「ユーガ。やめなさい。何を描いて! そんなの、教えてなんていないじゃない!」  母のミユリの甲高い叫びにびくりとしたユーガは、円陣を描いていた棒を地面に落とした。その途端、円陣や文字から「黄金色の炎」がぞくりと立ち上がったのだ。 「この炎は手強いなあ」  ジンは呆れた、という口調で言うと、燃え盛る魔方陣の中で震えているユーガに大きな声で言う。 「ユーガ。こわいか? この炎はなあ。お前が今描いたマークが産んだんだぞ」  ユーガはしゃくりあげて泣いている。 「泣いてても助けてやらないからな。お前はこの炎を止められるか?」 「止められないよう」  ユーガの次々あふれてくる涙に、自分自身の幼き日、五百年も昔のことをジンは重ねていた。  強い力を持つ者ほど、その力を使いたがる。 「なら、二度と魔法を使うな!」    強い口調で言い捨てる。昔の自分に言うように。  子供に八つ当たりしてる、とは我ながら感じていた。  ジンは炎が大嫌いだった。エルフの郷を焼いた黄金色の炎を思い出さずにはいられない。  火山の神。その名は、エルフの言葉でラキアス。  人間の言葉でラギア。  黒髪の美しい女性で、額に第三の目を持つ。  その真実の姿は炎の龍。  ジンの周囲に木枯らしのように冷たい風が幾重にも産まれた。風は明確な意志を持っていて、子供が幼さゆえに無邪気に生み出した中級クラスの炎の魔方陣を強く強く押さえつける。黄金色の炎は燃えようとジタバタしながらも、ジンの「凍れる力」になす術なんてない。 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  辺りが急にしんとした。煙がくすぶってる。あとで村長に叱られるかもしれない。焚き火をしたのか、と。  煙の中にいたユーガは不思議そうにあたりを見まわしていた。もう、炎の姿はどこにもない。 「あんなに炎がたくさんあったのに?」  ユーガは言ったあと、ジンと目が合う。ジンは肩でハアハアと息をしていた。額に汗もにじむ。彼には珍しかった。 「凍れる力」を久しぶりに使ったとは言え、人間の男の子相手に、なんてざまだ。 「ユーガ」  ジンはある種の尊敬を込めて、ユーガの名前を呼ぶ。するとユーガはふふんとふんぞりかえる。 「ほーら。ユーガが炎を消したよう。すごいんだ。俺」  きゃらきゃらと笑うと、ユーガは駆け寄ってくる。疲れているジンの周りをグルグルと回ったり、ジンの背中におんぶされようとした。 「こいつの性格は治らんよ。ミユリ」  ユーガをおんぶしながら、ジンは苦笑してミユリに言った。
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