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こんな日が来るのは覚悟の上であの時会社は辞めなかった。 長身に仕立ての良いのスリーピースのスーツ。 セットした黒髪。 大きい口。 笑うと優しい目尻のシワ。 浅黒い肌…。 一気に生々しい感覚が甦る。 あの腕に引き寄せられ、『綺麗だよ』と体中を撫でられると、本当に私は白くて美しいと思わせてくれた。 そしてもっと綺麗になりたいと、大人なあなたに相応しくなりたいと、必死でしがみついていた。 先に歩こうとした古園くんの気配が現実に戻してくれた。 『あ、待って…!』焦って声をかけた。 対峙した時の心構えはできているが、二人きりになるのはまだ怖かった。 『お久しぶりです。』 ずっと考えていた通りの返事をする。 『アメリカからこちらに出張ですか?』 私の目を捉えるその視線に縛り付けられる。 そう、ピアノ線みたいな黒い糸で。 息苦しい。 『こっちに配属になったんだ。…元気だったか?』 『ええ、おかげさまで。』 力んだ体で足の重心を踏み換えたのが古園くんに寄り添ったように見えたようだった。 『…あぁ、そういうことか。 まあいいや。あのさ…』 私と古園くんを交互に見やってからそう言いかけた時、『やあ!椎名(しいな)くん!』と呼ばれ隼人はそちらを向いた。 梅澤(うめざわ)専務が和やかに近づいてくる。 縛り上げられた糸から脱出できる絶好のタイミングに『行こうか。』と古園くんを促した。 2人に向かって軽く会釈し、歩き出した。
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