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家に戻ると、確かに玄関に鍵はかかっていたのに、僕の椅子に腰掛けていたのは端正な顔立ちの犬神inuhiko様。
『どうにも直接お会いしたくなり急ですが来てしまいました。驚かせて申し訳ござらん。さて本日、令草様をお尋ね致しましたのは、他でもない、令草様にはいずれ我々神々の仲間に入っていただく伝令をお伝えに参上致しました。はははははっ!』
「なぜ僕が神々の仲間に?」
『理由は単純だ。その素質が既に芽吹いてるからに他ならぬ。そもそも先程、兎神ぴょんきち様に声をかけられた時、そなたは何の迷いもなく、それが兎神ぴょんきち様であることを理解していたではないか。この犬神inuhikoのことも純粋にご自身ですべて理解したではないか。存在の本質を自然に見抜き真理を共有できる能力は誰もが持つものではない。神になる命にのみ宿る神聖な力である』
「そうなのか」
いつも魂で触れ合っている存在は、言葉ではなく存在そのものが発するオーラで識別できる。例えそれが植物でも動物でも。あるいは昔から大切にしている道具や持ち物であっても。
大学時代、飲み屋で知り合った気の合う1年先輩の中央大学の学生と、その場はお互い連絡先も伝えずに別れた。
次の日、すぐ後悔した。いい人間だった。見かけも心がけもカッコいいスッキリした男。もっともっと仲良くなりたかったなあと思っていた数日後。
僕は何かの用事で、普段は滅多に乗らない電車で都心から離れた町まで出かけた。帰りは遅くなり、確か22時頃だったと思う。
電車は空いていたので席に腰掛け本を読んでいたのだが、ふと顔を上げると斜め前の席に例の学生が座っているではないか!
向こうも気づいて、お互いパーッと明るい表情になる。彼もまた、僕と同じ気持ちでいたらしい。お互い偶然の出会いの奇跡に感動し、取り急ぎ連絡先を交換した。
同様の奇跡的な出来事は、その後もたびたびあった。
常に身近な存在であっても、なぜか親しみを感じない物や人がいる反面、一目で惚れ込むモノ・技・曲があり、人がいる。
惚れ込む相手は、だいたいの場合『己れに勝る良き友』である。昭憲皇太后(明治天皇のお后様)が華族女学校に自分の思いを託し捧げた唱歌の一つ『水は器』が僕は大好きで、この唱歌に出会う前から知らず知らずのうちに、そうした傾向が顕著であった。
水は器
水はうつはにしたがひて
そのさまざまになりぬなり
人はまじはる友により
よきにあしきにうつるなり
おのれにまさるよき友を
えらびもとめてもろともに
こころの駒にむちうちて
まなびの道にすすめかし
自分にはない優れた力を持っている人間は、出会った瞬間、ピカッと互いの周波数が反応する。
それは偏差値や年齢性別とは何の関係もなく、閃めきにも似たオーラが背筋をゾクゾクと這い上がって来るものだ。
兎神ぴょんきち様や犬神inuhiko様との出会いもまた同じように、自然であった。
まさか神様であるとは知らず交流を交わして来たが、こんな不可思議な日が訪れるとは。
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