【白のはじまり】

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【白のはじまり】

「ち、違うもん……あたし負けてないもん!」 さっきまでサラの持ち駒の白が俄然優勢だったはずなのに、盤の上は黒一色に染まっていた。サラは悔し泣きの目をぎゅっと閉じて盤を荒々しくつかんだ。 「顔を上げてごらん、サラ」 祖父のパウルの落ち着いた声が、いつも通りなのにざらついて聴こえる。 相手が可愛い孫だろうが、まだ8歳だろうが、手加減も容赦もないパウルが憎たらしい。こんな盤なんか―― が、サラは手をとどめた。ほんの、息を一つ吸うほどの間だけ。パウルの言うことを聴かなくて良いの? このまま盤をひっくり返して良いの? と、迷う。 「何か見えるはずだよ」 パウルのもう一言に押され、サラは薄く目を開き、顔を上げた。 ――見えた。 向かい合ったパウルの肩の向こう、バルコニーの外。背高の薄紫のキツネノテブクロが咲いていた。その花びらの上、光る朝露の陰に。 手のひらほどの女の子。目が合うと柔らかく笑い、シュッと葉っぱを滑って消えた。背中に羽が見えたような。つまり――妖精? きょとんと見送る間に、サラの腹立ちはすうっと退いていった。そして、さっきは涙でかすんでしまった盤がはっきり見えた。両の手は、ひっくり返そうという構えから乱れた盤上を丁寧に戻す仕草に変わった。 サラは、盤を見つめ直し、やがて駒を一つ指さした。 「ねえじいちゃん。これかな? ここであたし間違えた?」 パウルが笑った。 「そうさのう。もう一回やってみるか?」 「うん。よく考えながらやり直してみる」 サラも微笑んだ。 もう一度会いたいな。 サラはその後、いつも妖精を探すようになった。庭のキツネノテブクロの陰。スクールバスの窓の外。雑貨屋さんの駐車場。 でもあれ以来、見つけることはできない。ただ、いるかな? いないかな? そんな風にあちこちを眺めるだけで、毎日がドキドキした。
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