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 ひとつだけ教えてくださいと、ソフィアは騎士の頬に手を添えた。 「どうして無理に手籠めにしようとしたのですか? ああ、責めているわけではないのです。ただ、あなたが意味もなくそんなことをするとは思えなくて」  騎士は、苦しげに顔をゆがませた。懐から、小瓶を取り出してみせる。虹色の薬がとぷんと揺れた。 「魔女の万能薬には、使用条件がある。魔力を馴染ませた相手でないと使用できない。そして万能薬は、真の意味での万能薬ではない」 「どういう意味ですか?」 「すべてを完全に元の形にはできないそうだ。それは魔女曰く、理に反することらしい。だが、相手のために自分の持つものを差し出すことはできると言われたからな」 「まさか」 「俺は、君に俺の瞳を差し出す予定だった。だから、何を失っても目だけは守り抜いた。騎士としてはまともに生きられない不自由な身体だ。君が光を取り戻せるなら、それでいいと思っていた」 「それならば、名乗ってくだされば良かったではありませんか。こんな無体な真似をわざわざせずとも」 「先のない男に執着されては、君も困るだろう? 火傷で顔も醜くなり、騎士として働くこともできない。それに引き換え、目が見えるようになれば君は求婚者に困ることはなくなる。俺は縛り首にでもなって、この世からおさらばするつもりだったんだ」  騎士の決意を面白がった魔女が、彼が死んだらソフィアの記憶から彼の勇気も蛮行もすべて消してくれる予定だったらしい。ソフィアが涙をこぼした。 「ひどいひと」 「ああ、そうだな」 「ようやっと結ばれたというのに、勝手に私の幸せを決めつけられた挙げ句、いなくなられてはたまったものではありませんわ。申し訳ありませんが、魔女の万能薬は必要ありません。私は今のままで十分です」 「だが!」 「もしも魔女の万能薬を使うと言うのであれば、私の手足をあなたに差し上げますよ。そうすれば、あなたは五体満足でまた騎士としてやり直せるのでしょう?」 「馬鹿を言うな。俺は十分に生きた。君は、これから幸せに生きるべきだ」 「あなたのいない世界でどうやって幸せに生きろと言うのです」  ふたりが言い争いをするうちに、男が握りしめていた万能薬は薬瓶の中で淡く光り始めていた。目が見えないソフィアはもちろん、彼女のことにしか頭にない騎士はそれに気が付かない。 「うまい具合に代償と効果を分散できればよいのに」 「それはどういう意味だ?」 「例えば、私の片手とあなたの片目を交換してくださるとか」 「そんな都合よくいくものでもないだろう。それに、こんな醜い姿をさらすのは、やはり心苦しい」 「おかしなひと。私のために命をかけてくれたあなたを、私が捨てるとでも?」 「そう思えないからこそ、自分の醜さを恥じている」 「どんな結果になったとしても、私は二度とあなたから離れる気はありませんから。私の、騎士さま」 「……参ったな。これでは使うに使えない」  困ったような顔で逡巡していた男は、降参だと言うように両手を挙げて、小瓶を床に置く。ソフィアはそんな男とそっと唇を重ね合わせると、離れていた時間を埋めるかのようにただお互いを貪り続けた。
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