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以前のこの店はクリーム色の壁に、明るい色の木製椅子と、私の家の食卓と同じにしか見えない素朴なテーブルが支配していた。よく言えば安定、悪く言えば古臭い内装が急にガラリと様変わりしたのは、つい半年くらい前のこと。壁が黒とグレーのツートーンに塗り替えられ、インテリアもすべてモノトーンなものに統一された。
人の数より野良猫のほうが多そうな田舎町に似つかわしくない、喫茶店というよりもカフェに近い出で立ちで再出発したこの店は、もとから美味しかったメニューも手伝って、タウン情報誌にも時折取り上げられている。いつもなら席がそこそこ埋まっているけれど、今日は私の他に客は一人もいなかった。
鞄から筆記用具を取り出していたら、長瀬がグラスをトレイにのせて、私の席にやってきた。テーブルの上に並ぶシャープペンシルや参考書などを一瞥して、エスプレッソのショットを飲んだみたいな苦い顔をしていた。
「今日も勉強かよ。飽きねえの?」
「むしろ、長瀬はしないの? 来週の英コミ、テストじゃん」
「そうだっけ」
そ、の音を長瀬の唇が発する直前、目が大きく見開かれたことを私は見逃さなかった。完全に存在を忘れてたな、こいつ。確かお店の手伝いをすればするほど小遣いにイロがつくと話していたし、何も考えずに手伝いを入れまくったに違いない。
もちろん、そんなことは私の知ったことではないから、涼しい顔で「カフェオレと、ミルクレープ」というオーダーを入れる。いつもなら「お待ちください」というテンプレート通りの返事をしてくれるのに、よほど動揺しているのか、長瀬は何も言わずに厨房の方へ引っ込んでいってしまった。
私が家で勉強をしないのは、誘惑が多すぎるから、という理由がひとつ。そしてもうひとつの理由は、この黒基調のお店で過ごす時間が、なぜだか落ち着くからだ。色数が減ったおかげで、目に入る情報が以前よりも少なくなったからだろうか。あるいは雰囲気が自分の好みに合っているからか。とにかく、私は休みの日になると、いつもこうやってお店の片隅で小さくなりながら、宿題や受験勉強に勤しむ。
ちょくちょく横目で、オーダーを取りに行ったり、注文の品を席まで届けに行く長瀬のすがたも見ている。私には少しぶっきらぼうな言葉遣いをするけれど、他のお客さんに対してはしっかり丁寧な言葉で接客をする長瀬。普段の制服姿よりもきちんとした身なりで、背筋をぴんと伸ばして歩いている長瀬。きっと私しか知らない長瀬のすがたを眺め、またノートに視線を戻すたび、不思議と胸に浮かぶ満足感をもてあそびながら、舌触りのやわらかなミルクレープを口に運ぶのが、いつもの流れだった。
でも、今日はそれができそうにない。少なくとも、私以外のお客さんが来ない限りは。でなきゃ、いつもと違う長瀬のすがたを眺められない。
私はどうして、それを少し、残念がっているのだろう。
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