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ローナは、辻馬車ではない、上位貴族の家の豪華な馬車に乗っていた。
代理人の青年は、黒字に金の刺繍があしらわれた舞踏会用の衣装を身につけて、ローナの前に座っていた。
ローナはなんだか気恥ずかしくて、なかなか顔を上げることができなかった。
今夜の御者は、謎の邸宅でローナを出迎えた執事のブレントが務めていた。
「ローナさん、そろそろ着きますので、今のうちに指輪の石を回してください。今夜のあなたは、クラーク男爵家の令嬢アナベラです。類い希なる美貌で夜会の華となり、王子様の心を虜にした女性です」
青年に促され、ローナは、指輪にはめられた榛色の石をくるりと回した。
青年とローナが降り立ったのは、王宮の玄関だった。
目を丸くするローナを連れ、青年は入り口へと向かった。
黒ずくめの青年と真っ白なドレスのローナという取り合わせは、玄関ホールにいた人々の注目の的となった。
ローナが耳を澄ますと、「ピンク・ブロンド」とか「悪役ヒロイン」とかいう囁きと共に、「オーウェン様」とか「魔道士侯爵」とつぶやく声も聞こえてきた。
二人が、今夜の夜会の会場である大広間へ入ってからも、人々のざわめきがやむことはなかった。ようやく静かになったのは、侍従によって、王家の人々の入来が告げられたときだった。
ローナは、王宮に来るのも、王宮での夜会に出席するのも、王家の人々と対面するのも何もかも初めてだった。
これまでの仕事を通して、こうした夜会でのマナーは身につけていたが、王家の人々を前にすると、今まで味わったことのない緊張感に襲われた。
今宵の主役であるデリック王子は、暗い紫色の上着を身にまとい、不安そうな表情で大広間全体を見回していた。
ローナは知らず知らずのうちに青年の腕を強く掴んでいた。
すると青年は、もう片方の手でローナの手を優しく包んでくれた。
どこへ来ようとあなたは本職悪役ヒロインとして、今日も自分の役割を果たすだけですよ――青年の手は、ローナにそう語りかけているようだった。
国王により、夜会の開会が宣言されると、広間の灯りが一斉に消えた。
小さな悲鳴や驚きの声が上がったが、多くの人々はこうなることを知っていたようで、動じる様子はなかった。
ローナも、馬車の中で青年から、今夜の夜会の意味や自分の役割を聞いていたので、黙ってもう一人の主役の登場を待っていた。
(いよいよ始まるのね、わたしの最後の務めが――。さあいらっしゃい、わたしが必ずあなたから婚約者を奪ってみせるから)
心の中でそうつぶやき身を固くしたローナの耳に、誰かの笑い声が聞こえてきた。
窓や扉は開いていないのに、どこからともなく緑色の光の固まりが大広間に飛び込んできた。
人々をからかうように、光の固まりは大広間の中をくるくると飛び回った。
やがて、大広間の中央で止まると、光の固まりは小さな人間の姿となって叫んだ。
「デリック王子! 二十歳の誕生日を祝いに来たぞ! 約束通り、そなたは今宵より、この森の魔女ホーデリーフェの夫だ! さあ、まずは森の館に用意した寝所へわたしと共に参ろう!」
広間の中央に立っていたのは、伝説の森の魔女ホーデリーフェだった。
見た目は、若い娘のようだが、本当はもう何百年も生きているといわれている。
ホーデリーフェは、おびえるデリック王子の方へ腕を伸ばすとニヤリと笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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