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所変わって、ここは、歌劇場から程近いカニング伯爵邸の居間――。
婚約解消劇の主役の一人アランは、大きな溜息をついて長椅子に腰を下ろした。
もう一人の主役ダイアナは、そのかたわらに黙って立っている。
「お疲れ様でした、レディ・ダイアナ。これでキャロラインもわたしのことなど気にせず、従僕のパトリックと駆け落ちすることができるはずです」
「カニング様が悪者になられてしまいましたが、これで、よろしかったのですか?」
「いいのです。どちらかが悪者にならなければ、キャロラインとわたしの関係に終止符は打てません。それぞれ思いを寄せる相手ができたのなら、世間体など気にせず早く別れるべきなのです。この後わたしには、結局はレディ・ダイアナに捨てられ、傷ついた心を優しく癒やしてくれたクリスティアナと結ばれるという結末が用意されています。世間から、そう悪く言われることもないでしょう」
「確かにそうですけど――」
クリスティアナというのは、アランの幼なじみで、夫と死に別れて実家に戻ってきたデラニー侯爵家の令嬢だ。
アランは、古い友人の一人として、クリスティアナを慰めるために侯爵邸へ通ううちに、わりない仲になってしまった。
幼い頃から互いに憎からず思っていたのだが、家格の違いで結婚が許されず、仕方なく二人ともほかの相手と婚約・結婚した。
クリスティアナが出戻りとなったことで、ようやくアランにも彼女と結婚するチャンスが巡ってきたのだった。
キャロラインにしても、いろいろと複雑な事情がある。
アランの前では泣き崩れていたが、あれは、侍女に疑われないようわざとやったことだ。
彼女にも、屋敷に戻り婚約解消を嘆き悲しんでいるところを、従僕に優しくされて――、という筋書きがすでにできあがっている。
もちろん、数年前から、人知れず二人は愛を育んでいたのだが――。
アランから報酬の金袋を渡され、ダイアナはカニング邸を辞した。
そして、門前へ迎えに来ていた辻馬車に一人乗り込み、逗留先の宿へ向かった。
馬車の中で、右手の薬指にはめた指輪の青色の石をくるりと一周回す。
ダイアナの煌めくピンク・ブロンドは暗い栗色に、スカイブルーの瞳は榛色に、瞬く間に変化した。
そして、指輪の石もいつの間にか青色から榛色になっていた。
今日も、無事に自分の役割を果たすことができて、ダイアナは満足だった。
ピンク・ブロンドで青い瞳の男爵令嬢は、また一組の婚約者を別れさせた。
しかし、多くの人々にとってそれは他人事だ。
歌劇場でのハプニングとして語られ、あっという間に忘れ去られていくことだろう。ダイアナという名前だって、明日になれば何人が覚えていることか――。
それでいい。いや、そうでなくては困る。
美貌の男爵令嬢ダイアナなんて、この世界のどこにも存在しないのだから――。
ダイアナは、ローナ・ゴールウェイが務める本職悪役ヒロインの名前の1つにすぎないのだから――。
「ローナさん、お疲れ様でした。本日のあなたの取り分です」
馬車が止まり、ローナの下車を手伝いに来た御者が、ローナが手渡した金袋と引き替えに、今日の手当が入った小さな袋を渡してきた。
「ありがとうございます。ではまた――」
ローナはそれだけ言って、彼女の代理人でもある御者と宿の前で別れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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