2 ローナ・ゴールウェイ

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 ローナを誘って通りに面したカフェへ入ると、青年は、本職悪役ヒロインについて次のように語った。 「王都の社交界と無縁なご様子のあなたはご存じないかもしれませんが、上位貴族の間では、いまだに家どうしのつながりや親の約束により、本人の意思など無視して婚約・結婚するということが当たり前のように行われています」  ローナの三人の姉たちは、幼なじみや茶会で知り合った気の合う男の元へ嫁いでいった。三人とも相手のことを好いていたし、今もとても幸せそうだ。  でも、それは、ローナのような貴族とは名ばかりの下位の家柄の者やいわゆる庶民にしか許されないことらしい。 「決められた相手との婚約・結婚が嫌だとしても、貴族府に届け出て国王陛下からの承認も得たものを簡単に取り消すことはできません。世間体もありますしね。そこで、婚約・結婚を解消したい上位貴族たちが目を付けたのが、昨今大流行している『愛憎小説』です」  ローナの姉たちは、嫁ぐ前、よく薄い帳面のようなものを回し読みして興奮していた。あれが、「愛憎小説」だったらしい。結婚してからも屋敷に帰ってくると、必ず「愛憎小説」の新作を話題にしている。  姉たちの影響を受けたのか、最近は母までこっそり読んでいる様子だ。  「婚約解消」だの「偽りの結婚」だの、生真面目なローナは、全く関心を持てなかったのだが――。 「『愛憎小説』……、ですか?」 「ええ。つまり、『愛憎小説』そっくりな設定を用意し、修羅場を演出して話題をつくり、婚約・結婚の解消を何となく周囲に納得させてしまうという方法を考えたのです」 「まあ、小説を演じてしまうのですか?」 「ええ。『愛憎小説』では、魅力的なピンク・ブロンドの男爵令嬢が、王子や貴族の令息と親しくなり、婚約解消の原因を作るという展開がよく見られます。ですから、今、王都の社交場では、ピンク・ブロンドで男爵令嬢を名乗る女性が現われたら、きっと誰かが婚約者を奪われ婚約が解消されるに違いないと誰もが考えるのです。そうなることを期待している、と言った方がいいかもしれません。しかし、ピンク・ブロンドで青い瞳の男爵令嬢なんて、『愛憎小説』のように、やたらにいるものじゃありません」 「まさか……、それで本職を用意するようになったのですか?」 「そうです。あなたが拾った指輪。それには、ちょっとした魔法が施されておりまして、相応しい人物が見つかるとその指におさまり、本職悪役ヒロインに変身させるという仕組みになっています。わたしは、所有者からその指輪を預かり、本職悪役ヒロインの仕事を手伝う代理人(エージェント)を務めています」  ローナは、自分の指にすっかりなじんでしまった指輪と代理人を名乗る青年の顔を何度も見直した。  怪しげな話ではあったが、どちらも自分に害をなすもののようには思えなかった。 「実は、先代の本職悪役ヒロインが引退しまして、わたしは指輪を持って国中を廻り、次のヒロインを探していたのです。先ほど財布を開けた途端、その指輪が勝手に転がり出てしまい、追いかけていったところあなたに出会ったというわけです。どうでしょうか? 引き受けていただけませんか? 十分に満足いただける報酬をご用意します。お嫌なら、『わたしは悪役ヒロインなんかになりません!』と言っていただければ、指輪はすぐに指から抜けます」  話を聞き終えて、ローナは指輪をまじまじと見た。落ち着いたデザインの指輪は、ローナの少しやつれた手に華やぎを与えてくれていた。  もうずっと長いこと、そこにはまっていたように見えた。 (不思議な指輪ね――。本物の男爵令嬢だけどお金に困っているわたしを哀れんで、指輪が新しい持ち主として選んでくれたのかもしれない。これも、何かの縁、いえチャンスなのかも――)  青年の荒唐無稽な話は、退屈な日々を送るローナにとって、どこか刺激的で興味深いものだった。  定期的に王都に行き、別人に変身して小説そっくりな解消劇を演じれば、多額の報酬を得ることができる――。  ローナは、青年の話を信じ仕事を引き受けることにした。  こうしてローナは、この世界でただ一人の本職悪役ヒロインとなった。  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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