55.日常が壊れる音 ***SIDE人の王

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55.日常が壊れる音 ***SIDE人の王

 ごく普通の一日だった。少なくとも日暮れまでは、そう表現できる。空が夜の黒に染まり、見上げて気づく。今日は月が暗いのか。星もあまり見えないため、いつも以上に灯りを増やした。  街も暗さを払拭する灯りが瞬き、繁栄の色を感じさせる。平和な一夜が過ぎ、何事もなく朝を迎える――ごく当たり前に信じていた。 「襲撃だ!」 「魔族か?!」 「ドラゴンもいるぞ」 「うわぁ」  あちこちから聞こえる悲鳴と苦痛の声が、街の風景を一変させた。平和で穏やかな夜は、赤く血塗られた地獄へと景色を変える。何が起きたのか、なぜ襲われたのか。慌てる執政者を嘲笑うように、ドラゴンは街を燃やした。  尻尾で叩かれるたびに壊れる外壁、崩れた塀の隙間から魔獣が飛び込む。ドラゴンと飛来した魔族が、多くの人を襲うのが見えた。我が子を見捨てて逃げる親、諦めて死を待つ老人、醜い光景が広がる。  恐ろしい景色に、何を指示すればいいか。頭が動かなかった。促されて地下通路へ向かう。王族を逃すための地下通路は、昔の洞窟を利用していた。そのため灯りが乏しい。松明を手に進む騎士の後ろを歩きながら、恐怖に震える妃の手を握った。 「大丈夫だ、隣国に助けを求めよう」  これは天災のようなもの。降りかかった不幸は、必ず別の形で取り戻せる。言い聞かせる言葉は、王妃より自分に向けられていた。民を見捨てて逃げた王が、何を言っても綺麗事だ。罵る叫びが、頭の中にこびりついた。  暗い洞窟の出口は、王都を抜けた先にある。森に続く街道からも離れた、小さな砦だ。打ち捨てられた廃墟に偽装した砦で、夜明けを迎えた。青紫の光が満ちる空を、万感の思いで見つめる。逃げてしまったこと、王都の民を見捨てたこと、何より助かってしまった罪悪感。  王として大事な何かを失った気がした。もし国を建て直す算段がついたら、その時点で王位を譲ろう。そんな決意すら脅かすように、上空を大きな影が通り過ぎた。  森の木々に隠れた廃墟の上を、ドラゴンが悠々と飛んでいく。その数は驚くほど多かった。低く飛んでいるのだろう、その背に乗る人影が判別できる。人とは明らかに違う外見の異形を乗せ、ドラゴンは海の方角を目指した。 「……隣国へ向かってないか?」 「嘘だろ、それでは」 「言うな」  上官に言葉を遮られた騎士が、慌てて口を手で押さえる。彼が言わなくても、続きは理解できた。もう手遅れだ。隣国も同じ状況に陥り、人が住める領域は狭まる。 「何が悪かったのか」  呟く誰かの声に、頭を過ったのは一つの報告だった。季節を一つ遡った頃、魔王討伐の知らせが入った。確認が取れず、有力な魔族を倒したのだろうと判断し、勇敢な男達に褒美を与える。だが、直後に彼らの拠点は崩壊した。  落雷のようだが、魔族による報復ではないかと騒ぎになる。それを鎮めて、ようやく一段落したところだった。もし、魔族への襲撃が引き金であったなら……本当に魔王を襲撃したのかもしれない。軍を揃え、他種族も巻き込んで、人間を排除しようとしたなら。  もう逃げ場などない。諦めを浮かべた王の瞳に、砦を囲む魔獣の群れが映った。禁忌に手を出したのだと、王は妃を抱き寄せる。無言で震える妻も覚悟は決まったようだ。頷き、騎士から短剣を受け取った。  食い散らかされるなら、一思いに。妻の首を切り裂き、その刃を己の胸に納めた。
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