彼の罪状

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 小さな雑貨店は、照明がついているにもかかわらず薄暗かった。小麦粉やトイレットペーパー、菓子など色々な物が置かれた棚が等間隔に並んでいる。  近所に住む店主の友人が来ているのだろう、奥にあるレジの辺りから笑い声が聞こえてくる。 「まったく、みんな仮想現実? の女に夢中なんだからなあ」 「抱けない女に意味があるのかねぇ。今どきの男は」  ロディールは必要な物をカゴへ放り込み、レジに向かう。  その存在に気づいた途端、カウンターの店主と雑談をしていた中年の男が、ぴたりと話を止めた。  まるでロディールが万引きをするのではないかとでもいうように、店主も客もじっとこっちの様子を観察している。  居心地の悪さを感じながら、ロディールはカウンターにカゴを置いた。  太ったはげ頭の主人はじろりとロディールをにらむ。  そして、カウンターに置かれたカゴを、レジを打つ事もなく床に置いた。 「おい……」  文句を言いかけたロディールをさえぎるように、店主は言う。 「悪いけど、あんたに売る物はないな」  近くで見ている客達も当然だ、という目で睨みつけてくる。  この目には見覚えがあった。  自分とお前とは違うのだと決めつける目。お前は人間などではなく、もっとおぞましい生き物なのだと告げる目。 (またか……)  こうなったらもうどうしようもない。拒絶されるだけだ。こっちの正当性を訴えても、力ずくで追い出されるだろう。警察に言ったところで、まともに取り合ってもらえない。  舌打ちをして、ロディールは戸口に向かう。 「……人殺し」  客が小さく、でも確実にロディールに聞こえるような声で言った。  店を出ると、外はもう薄暗くなっていた。  行き来する飛行車(ひこうしゃ)の赤いライトが、UFOのように遠くの空を行き来している。遠くの塔に灯る明りが、夜空にオレンジ色の長方体を空に描き出している。  ロディールは、百年前から変わっていないような、自動車や自転車が走り、古いレンガ造りの家が並んでいるようなスラム街に住んでいた。  だが近場ではどこももう物を売ってくれないので、かなり遠くの場所にまで買いにきたのに結局徒労に終わってしまった。  過去にロディールが犯した『罪』はどこからか漏れ、テレビやネットニュースで自分の顔はもう知れ渡っている。 (もう何年も前のことなのに!)  ロディールは奥歯を強く噛み締めた。  まるで振られたサイコロの中にいるようだった。通路はかたむき、壁の隙間から噴水のように海水がなだれ込んでくる。  ロディールと妻のフェシー――籍は入れていないが、ずっと一緒に暮らしているのだ。妻と呼んでもいいだろう――は、なんとか甲板へ抜け出し、他の乗客と共に救命ボートに乗り込んだ。  波が山脈のように盛り上がり、ゴムボートはジェットコースターのように上下した。そのたびに、内臓が裏返るような感覚がある。何度も波がボートに多いかぶさる。バケツで頭から水をかぶせられるようだった。  恐怖と寒さで震えが止まらない。肌の表面が麻痺するほどだ。帽子で海水を必死でかい出すが、海水が溜まる速度の方が早い。このままでは、救出用のドローンに吊り上げられて助けられるまで持たないだろう。 「く、くそ! くそ!」  呪詛のように何度も呟いた。  少年は膝を抱えて震えていた。  灰色の空に稲光が走るたび、周りで同じように翻弄される救命ボートのシルエットが浮かびあがる。  また波にさらわれそうになり、ロディールはボートにつけられた縄にしがみついた。  五人いたはずの乗客は、いつの間にかロディールとフェシー、そして名も知らない少年だけとなっていた。 「これが最後になるかも知れないから、言うわね」  自分も両手で海水をかい出しながら、フェシーは声を上げた。その声には涙が混ざっている。緑の瞳が真っすぐにこっちを見つめていた。 「今までありがとう。私は本当に幸せでした。愛しているわ」  その言葉がきっかけとなって、今までの思い出が一気に吹きあがった。  木漏れ日の中、ベンチに座り微笑むフェシー。熱を出している自分の額に、優しく手の平を乗せてくれるフェシー。 (いやだ!)  反射的にそう考えた。 (彼女を失うなんて絶えられない。それに何を犠牲にしても、彼女を守ると誓ったんだ)  再び波が船を襲った。  船底はもう小さな浴槽になっていた。このままでは間違いなく沈む。せめてあともう少し船の積荷が、軽くなれば。  ロディールは膝立ちの状態で、水を腿でかき分けながら、少年のほうへ歩み寄った。 少年は茶色く短い髪を頭に貼りつかせ震えていた。びっしょり濡れたそばかすのある頬と唇が真っ青になっている。  少年と目があった。茶色の瞳が涙で揺らめいている。自分が何をされようとしているのかこれっぽっちも予測していない。 (そうだ……絶対に妻と生きて帰るんだ)  震える腕を伸ばす。片手に細い膝の下に、もう片方を尻の下に差し込んだ。  次の瞬間、自分が何をされようとしているのか理解したのだろう。少年の、蒼ざめ小さな唇が開いて、悲鳴を上げようとした。しかしそれが発せられるより前に、ロディールは少年を後頭部から荒れる海に投げ込んだ。 「あ、ああ……」  フェシーがうめき声をあげる。  ロディールは荒い呼吸を繰り返した。  少年には、悪いと思っている。でも、仕方ないではないか。 (どうしても生きたかっただけだ。妻と一緒に)  救出されて上陸し、落ち着いた時に、難破のニュースが大々的に報じられていたことを知った。そして落とした少年の名前がコルバだということも。  けれど、自分がおかした罪は誰にも知られるはずはない。そう思っていたのだが、別の救命ボートに乗っていた者が見ていたのだろう。  ロディールの犯罪は、したのと同時に広がっていた。自分が助かりたいがために少年を殺した非情な人間、と。  自分の家に近づくに連れ、段々と道路にゴミが散乱し始める。一、二本、蛍光灯の着れたネオン看板が瞬いている。建物の間で何かゴソゴソと動く気配がするのは、野良猫か、それともケンカで刺されて死にかけているゴロツキかもしれない。  落描きだらけのアパートにつくとロディールは外階段を通り、二階にある自室の戸を開ける。 「おかえりなさい」  やわらかなフェシーの微笑みに「ただいま」と返す。  自分で思うより、落胆が隠せていなかったのだろう。それに手ブラなので買い物を失敗したのを察したようだ。  フェシーは顔を曇らせた。 「……ごめんなさい、私のせいで」  その表情に比例するようにロディールも表情を暗くした。  自分が子供を犠牲にして生き残った罪悪感で、助かってしばらくの間フェシーは「死んでしまいたい」と呟いていた。  最近、そうやって自分を責めることも少なくなったと思ったのだが。  そこで気を取り直したようにフェシーは微笑んでくれた。 「代わりに私が買物に行ってくるわ」  フェシーは、壁に打った釘にひっかけられたコートとショールを手に取った。 「ああ、すまない」  もう一度微笑むと、フェシーは外へ出て行った。    フェシーは、顔が見えないようにショールを深くかぶり直した。  ロディールが買物すらし辛くなった理由は、フェシーも知っていた。  自分達が助かるために犠牲にした少年のこと。  本当ならば、私がボートを降りるべきだった。それは自分でも分かっていた。 (でも、ロディールさんと一緒にいたかった……)  部屋の暖かさから離れ、道を歩いていると体が段々と冷えていく。  誰かが風呂を使っているのか、側溝から湯気が上がっている。  十字路に差し掛かった所だった。  右手から人影が飛び出してきた。 (ぶつかる!)  とっさに身を固くする。  何か、硬い物を背中に押し付けられた。  振り返るより先に、蹴りつけられたような衝撃が襲った。  一体何が起こったのか理解するより先に、目の前が真っ暗になった。  かすかに耳鳴りのような音がする。背中が痛み、身じろぎをしようとして違和感を感じた。体が動かない。イスに縛り付けられているようだった。  今なら何が起こったのか分かる。スタンガンで襲われた。  フェシーが目を開けると、そこは薄暗い地下室のようだった。   床には本や紙の束が無造作に置かれている。ライトパネルでできた天井。壁にはやたらと小さなランプがたくさんついた、冷蔵庫大の機械。  部屋の隅には散らかった大きな机。タブレットや書き散らかされた紙のメモ、そして空のカップ麺の容器、そしてパソコンが置かれている。  そのパソコンのそばには掌大の立体映像(ホログラフィ)。そこに映し出されているのはそばかすのある、茶色い髪。 (あの男の子……コルバ君)  あれは、ロディールが私の代わりに海へ投げ込んだ子。 「気付いたか」  背後で、男の声がした。  中年の男が歩み寄ってきた。  目つきが立体映像で、いや、昔救命ボートの上で見た少年とよく似ている。 「そうだよ、私はお前の主人に殺された子の父親だ」  コルバの父親ならニュースで知っている。ドロフだ。  そして、フェシーはなぜ自分がこんな目にあわされたのかを理解した。  ドロフが床に転がった空きビンを拾いあげた。それをフェシーの頭に叩きつけた。  底が目に入り、痛みでのけぞった勢いで、イスの背が机にぶつかりきしんだ音を立てた。机の隅に置かれたマグカップが落ち、中の水が床に広がった。 「なんで、なんでコルバが! あの子が死ななければならなかったんだ!」  一度、二度、はビンを振り降ろす。 「ご、ごめ、ごめんなさ……」  切れ切れにフェシーは声をあげた。 「わ、私がボートを降りれば……」 「ああ、そうだよ! お前が船から落ちるべきだろうが! なんでお前が!」 「でも、主人と一緒に生きたかったの。どうしても!」  疲れ果て、ドロフは手を止めた。  荒い息に、細い肩が上下する。  フェシーは動くこともできず、うつむいたまま動けない。  ドロフは両手の指を顎に引っかけるように、フェシーの頭をワシづかみにした。 「やめて!」  ドロフはかまわずそのまま皮膚も避けよと首を引っ張った。  バチンと弾ける音がして、フェシーの頭が首から外れた。銀色のコードが血管のように伸びる。ぼたぼたとオイルが垂れる。 「なんで、なんでコルバが! こんな鉄の塊に代わりに死ななければならなかったんだ!」  ドロフはコードを繋げたまま、ごとりとフェシーの首を机に置いた。さっき殴った時に当たったらしく、緑色の瞳にヒビが入っている。 「お前の主人の主張は裁判で聞いたよ。『どんなことをしても妻と生きたかった』だと。さっきのお前と同じことを言っていた」  ドロフはほとんど生首状態になったフェシーを睨みつけた。 「妻だと? ただのアンドロイドに、ロボットに心があるとでも? ただの鉄の塊じゃないか! そんな物のために、コルバは……」  ドロフの唇の両端が歪に吊り上がる。 「そうだ。いい事を思いついた」  ロディールは、リビングをかねたダイニングのイスに腰掛け、壁の時計を見上げた。     フェシーが買い物に行ってからもう数時間経っている。 「遅いな」  なんだか、嫌な予感がする。  まさか、救命ボートのことを知っている者に嫌がらせを受けているのだろうか?  一人の家は妙に静かだ。時折、窓の外を車が通りすぎていく音がする。  そのうち、外階段を上る靴音が聞こえてきた。フェシーが帰って来る気配に、ロディールは安心した。  ノブが音を立て、扉が開いた。 「ああ、お帰り、フェシー」  立ち上がり、玄関まで迎えに出る。  コートにショールと、出た時と変わらない姿にほっとする。別に誰かに襲われた様子はない。  いや、一か所違う所がある。なぜかサングラスをかけている。新しく買ったのだろうか? その割には本来買って来るはずだった物は何も持っていない。 「どうした、やっぱり売ってくれなかった……」  フェシーは、コートのポケットから何かを取り出した。 「え……」  銃だ。ロディールがそう気づいた時、フェシーは引き金を引いた。笑いもせず、怒りもせず、無表情で。  驚きの顔をしたまま、ロディールが崩れ落ちた。  押し殺した笑い声が密やかに流れた。  玄関の横からドロフが姿を現す。  冷ややかな目で死体を見下ろす。自然と鼻から嗤(わら)いが漏れた。 「二人で一緒に生きたかった、ね。性格を書き換えれば、アンドロイドなんてこの通りだ」   その言葉に、フェシーはためらいがちな笑みを浮かべた。  ドロフはロディールの死体に背を向ける。そしてフェシーと連れ立って去っていった。
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