妖美と猫面

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今日、僕は死にに来た。 そのはずなのに。 まさか夏祭りが行われているだなんて思っていなかった。 楽しそうに賑わう夜の神社。 怪しげな提灯に照らされる林檎飴。 浴衣姿の人々。 手にヨーヨーを持って振り回している子供。 スーパーボールすくいにいる、胡散臭そうなおじさん。 ツン、とソースの匂いが鼻をかすめる。 ぐるるるる……といじましくもお腹がなった。 どこか現実味のないこの世界。 それでもお腹は空いてしまう。 僕はポケットに手を突っ込んだ。触れた果物ナイフと、何枚かの小銭。 手で数えてみるとそれは4枚あるようだった。 僕はかき氷、と書かれた店の前に並んだ。 100円玉を四枚手の中で転がす。 眼の前に並んでいた二人組のカップルは仲良く手を繋いでいた。 後ろに並び始めた小さな子供。その子は楽しそうに鼻歌を歌っていた。 「おもいではいつもきれいだけど、それだけじゃおなかがすくわ♪」 これまた古い歌を。 趣味が良い。 僕はその歌の続きを軽くハミングする。無意識だった。 「おぉ…!お兄さん趣味が合うね」 話しかけられたのは……僕か? 僕は後ろを振り向いた。 猫面を左側に付けた浴衣姿の少女。その子がこちらを笑顔で見つめている。 背丈だけでみると小学一年生のようだが、その子のまとった雰囲気は尋常じゃなかった。 「お兄さん死にに来たんでしょ今日」 チャリン、と小銭がポケットから落ちた。 眼の前に並んでいたカップルが手を離すと、その100円玉を拾う。 「大丈夫?」 「大丈夫です…ありがとうございます」 僕は顔もよく見ずにそれを受け取った。 そして猫面の少女の手を引いた。 いきなりだったはずなのに彼女はその手に応じる。 そのままあまり人気のない、神社の社の後ろへ連れて行く。 これは僕が少女をさらったことになるのだろうか。 「ちょっとお兄さん手、痛い」 いつの間にか強く握りしめていた。 少女の赤色の浴衣は提灯に照らされさらに、怪しさを強めていた。 僕は手を離す。 少女の腕に赤いものが浮かび上がり、少しだけ反省した。 「ごめん」 「いいよ、お兄さん聞きたかっただけだろうし」 少女は上目遣いでこちらを見つめると笑った。 「なんで知ってるんだってね、死にに来たこと」 話が早い。僕はゆっくりと頷いた。 「そりゃわかるでしょ」 「なんで」 少女は猫面を前にずらした。表情が読めなくなる。 「だって、私も死にに来たんだもん」 その言葉に嘘はない。絶対。 「そっか」 なんで、とか聞く勇気僕にはない。僕だって聞かれたら困る。 少女は面白くなさそうに地面を蹴った。 「面白くないなぁ…もっと驚いてくれてもいいのに」 でも、と少女は続ける。 「こんなナマクラ刀じゃ首は切れないよ。たかが果物ナイフでしょ?」 いつの間に。僕はポケットの中を探った。 少女は果物ナイフを手にしていた。 「ということでこれは回収〜」 おどけたように上へ向かって投げた。 そのまま落ちてしまうと……彼女に。 心配はいらなかった。 その果物ナイフは宙へ向かって一回転をしたところで消え去ったのだから。 「え?」 「じゃあね、お兄さん。お幸せに」 少女は猫面を右にずらす。そしてあっという間に僕の眼の前からいなくなった。 何が起こったのか。 僕はもう一度ポケットの中を探る。やっぱり果物ナイフは消えていた。 「敦樹…!」 どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。 何で来るんだよ。遺書だって書いてきたのに。 バタバタと駆け寄ってきたのは、母親であった。 「死ぬなんて……バカ…なの?」 そういうとこだよ。クソ親。 「なんでここがわかったんだよ」 「椿が教えてくれたのよ」 つば…き…? 「お前のお姉ちゃん、だよバカ」 息を切らした声で追いかけてきた父。 「え」 毎日嫌と言うほど写真を見た、あの子? でも彼女は死んだんじゃ… 「不思議なことが起こったんだよ。猫面が…あいつの死体と一緒に焼かれたはずの猫面が」 母はそっと目元を拭っていた。 「猫面がね、かかってたの。あなたの部屋の前に」 そして、と母は言う。 「思い出したの、あのこの遺書」 母親は泣き崩れるように僕を抱きしめた。 「あのときは意味がわからなかったけど…あの子わかってたのね」 父は抱きしめはしなかったもののそっと涙を見せた。 僕はポケットの中に手を入れた。 チャリン、と軽い音がする。 「離してよ母さん。もう死のうとか思わないから」 ほんとに?と心配そうな猫なで声。 僕は大きく頷く。 母はやっと離してくれた。 父親は笑う。 「かき氷だろう。買ってきてやる」 僕はポケットの中にあるものを父に差し出した。 100円玉が2枚。 ……2枚? これくらいは許してよ、最後ぐらい美味しい思いしたかったんだから。 果物ナイフのときといい、マジシャンかよ。 僕は笑った。 提灯の光がかすかに揺れる。 まもなくして父が買ってきたかき氷は、ひんやりとしていて甘かった。 「本当は切ない夜なのに…どうしてかしら、あの人の涙も思い出せないの」 姉ちゃんの仏壇には今度からかき氷を備えてやろう。 そして、暇なときはそばかすを流す。 僕は心に誓った。 完
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