<14・記憶。>

1/4

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/82ページ

<14・記憶。>

『……ならぬ』  いつも精悍で、堂々としていて、自分達をいつも厳しくも優しく見守ってくれる――父のような存在だった、信長。  その人が初めて聞くようなか細い声で首を横に振ったのを、蘭丸はハッキリ見ていた。 『あの時は……あの時はそなたらの提案に是と言った。しかし、儂は何度考えても納得がいかなかったのじゃ。何故だ、何ゆえそなただけが犠牲にならねばならぬ。儂は、そなたにずっと傍で仕えて欲しい。我が右腕としても、友としても、それ以上の存在としても……!』 『貴方様には、お濃の方も、信忠様も、そして表立って味方はできないなれど光秀様もいらっしゃいます。けして、一人ではございませぬ』 『わかっておる!皆は愛しい、我が同志あり家族である。しかし、だとしてもそなたの代わりには誰もなれぬのだ。否、誰一人、代わりなどおらぬ。それこそが誠の愛というものであろう!?』  覚えている。  ああ、覚えているとも。たくさん、未来の話をした。酒を酌み交わし、閨を共にし、馬に乗ってお忍びでこっそり出かけて光秀様に叱られたこともあった。  暗闇に沈むばかりだった自分の人生に光を与えてくれたのは、紛れもない目の前にいるこの人だ。本当は、かの人の覇道を最後の最期まで見守っていたかったし、お仕えしたかった。愛していたかった。それは紛れもない事実。  そう。 ――わかってるよ、蘭丸。お前も、本当は、死にたくなかったんだってこと。守りたかったんだってこと。……それほどまでに、信長を愛していたってことを。  本当は、ここで共に信長と逃げて生き延びたい。それが恥と言われようと、どのような末路に繋がろうと。  でも。 『……甘えなさるな!貴方様には、果たさなければならぬ使命がある、そうであろう!?大義を捨てて、甘えを許して、それで織田信長が名乗れるものか!』  傷の痛みを答えて、蘭丸は一喝した。  先ほど、影の鳥の人間がこの部屋に侵入しようとしていた。さらに、この炎。寺が崩れ落ちるのも時間の問題。空気も悪くなってきている。一刻の猶予もない。 『私はこの傷、もはや助からない。それなのに貴方様は、私に無駄死にせよと仰るか!?』 『そのような、ことは……!』 『ならば、生きるのです。星の宝玉のない……それによる愚かな争いが起きない世を作ると、約束してくださったのではないですか。それを反故になされぬな。私は……』  その場で、蘭丸は膝をついた。正座し、痛みに呻きながらも頭を下げる。 『私は……貴方様の傍にいられて、心より幸せでございました。山ほど人を殺した私は、極楽浄土へは行けぬでしょう。でもいいのです。地獄からでも、必ずや貴方様を見守っております。ずっとずっと、魂はお傍におります。必ずや……来世でお会いいたしましょう』  同じ場所に行けるとは思っていない。  信長に罪があるとすれば、その罪は自分が持っていくべき罪だ。 『……すまぬ』  信長はくしゃりと顔を歪めて、告げたのだった。 『儂も、そなたを愛しておった。もしもまた巡り合えるなら、その時は……』 『ええ』  いってらっしゃいませ。  呟き、顔を上げるのと――信長が光秀に宝玉を渡し、奥の間へ消えていくのが見えた。  これでいい。これで、自分達の希望は繋がる。 『光秀様。穢れ役を押し付けてしまったこと、本当に申し訳ございません』 『良い』  光秀は首を振り、そのまま刀を抜いたのだった。 『わしにとってもそなたは、息子のような存在であったぞ。どうか、安らかに眠っておくれ』  そして。  鋭い一閃と共に――蘭丸の意識は暗転し、霧散したのである。
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加