<16・敵陣。>

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<16・敵陣。>

「……覚醒した?」 「はい」  僕がそう問い返すと、彼女は首を垂れて頷いた。 「大変申し訳ございません――様。本当は、森蘭丸が目覚める前に始末するつもりだったのですが、残念ながらその前に目覚めさせてしまったようで」 「そうか。……少し面倒なことになったな」  “帰蝶”を操って、蘭丸を襲撃させたのは目の前にいる彼女だった。彼女の傀儡の術を使えば、特定の人間を洗脳することが可能。完全に操ることもできるし、特定の負の感情を増大させて暴走させることもできるのだった。  本来安全に蘭丸を討伐したいと思うなら、“帰蝶”の意思を完全に消去してしまった方が良かっただろう。それをしなかったのは、純粋に負担が大きかったからに他ならない。彼女の能力は、距離、洗脳の深度、同時に操る人数などが限定されている。遠ければ遠いほど、強い洗脳をすればするほど、たくさん操るほどそのほかの制限が強くなる仕組みだ。  今回は敵に悟られぬよう、かなり遠くから術を使った。  ゆえに彼女は帰蝶一人しか操作できず、また完全に人格を上書きするようなことはできなかったのである。 「森蘭丸と、彼と共にある付喪神・不動行光。奴らの固有能力は浄化だ。……戦でも、その力はかなり手を焼いた者が多かったはず。ただでさえ本人の信長への忠誠心と自己犠牲の精神は恐ろしいものがあったというのに」  森蘭丸は、本当に幼い頃から信長に仕えていたと知っている。史実で記載されているよりもずっと昔からだ。幼い頃から信長の為に武術を磨いてきた少年は、まるで鉄砲玉のようだった。不動行光を得て、その能力にどれほど磨きがかかったかというと想像するだけで恐ろしいものがある。  人や付喪神が持つ霊力の浄化。  霊力を使って敵を操作して戦う彼女とは、極めて相性が悪い相手と言える。蘭丸を倒すには、浄化の暇も与えぬほどに囲い込んで叩くくらいしか手がなくなったということだろう。 「本当に、なんとお詫びすればいいかもわかりません。わたしの腕が未熟であったばかりに……」  彼女はさめざめと涙を零した。こうしてみると、なかなか不思議な光景である。五十も間近に控えた女性が、まだ幼い見目の自分に跪いて涙を零している。これも因果なものだと言えよう。僕が大人になる頃には、彼女は立派な年配者となってしまっているだなんて。  これも、因果というものだろうか。  自分達は令和という世界で、同じ足並みで生きることを許されなかった。無論どんな年齢差があれど、彼女と再び出会わせてくれたことに感謝はしているけれど。 「お前のせいじゃない。お前に頼んだのは僕だし、可能性として考慮していなかったわけじゃないからな」  それよりも、と僕は彼女の頭を撫でて言う。 「帰蝶から、お前の情報が知れることだろう。いずれ向こうから出向いてくるかもしれない。……戦えるのか?織田信長と。奴は、お前の……」 「それは、戦国の世でも散々申し上げたことではございませぬか」  彼女は顔を上げると、涙を拭って告げた。 「わたしは、浅井の家に嫁いだ時、織田の名は捨てたのです。何より……貴方様を殺した織田信長を、わたしは一遍たりとも許すことはできないのです。わたしの全ては貴方様と浅井の家、愛する娘たちに捧げたのですから」 「お市……」  僕は、彼女のかつての名を呼ぶ。彼女の頭を抱き寄せて、まだ高い己の声を恨みながら返したのだった。 「お前の覚悟、しかと受け取ったぞ。共に、織田信長を討ち取ろう。あの方と……安寧の世を築くために」 「ええ、ええ。地獄まで共に参りましょう……長政様」  ああ、宴が始まるまで――あと。
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