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 一度でも掴めたなら、大和の隣にいてもいいような気がして、何度も手を伸ばした。 「届くわけないのに」  届かないと知っているから、届けば隣にいてもいいなんて、絶対によくない願いを込められる。ばかばかしい自傷行為だから、大和が知ったらきっと眉間にしわを寄せるに違いない。  優しい、美しい大和の幻影が瞼の裏に張り付いて、一人で笑った。  一呼吸おいて立ち上がり、部屋に戻る。  ゆっくりとリビングに入ってベランダの扉を閉め、昨日しまい忘れていたグラスをとってシンクに置いた。  いつものように簡単にグラスを洗ってから朝食作りに取り掛かる。  大和は今日、十時ごろから仕事があると言っていたから、食べるのは早くとも三時間後だろう。  昨日大和に勝手に着させられたエプロンに笑って、仕方なくそれを首にかけた。自分が立てる音以外が何も聞こえない部屋で淡々と料理を済ませ、軽くつまんでからリビングに持ち出した服に着替える。  不意に顔を上げ、かけられたカレンダーを見つめた。青い丸が付けられた日付を瞳に焼き付ける。  あと五日もすれば大和は地方撮影に向かうことになる。その間は自宅にはほぼ帰ってこられないと言っていたから、身辺整理の時間はたっぷりあった。  考え事をしながらゆっくりと支度をしているうちに、太陽が顔を出し始めている。  勤務時間にはかなり早いが、昨日半休をもらった手前、早めに出勤することを決めていた。それを大和に言わなかったのは、半休をとった理由について彼に触れられたくなかったからだ。  なるべく音をたてないように支度を終え、三度躊躇ってから寝室へと足を向ける。
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