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「ひかり」  運転席のドアを開けようとした瞬間、綺麗に磨き上げられたドアガラスに大きな手が触れたのが見えた。よく知った匂いがする。 「ひかり、こっちきて」  きてと言いながら、大和の両手は私の逃げ道を塞ぐようにドアガラスについている。  狭い空間の中逃げ出せずに俯くと、覆うようについていた手のうち片方が私の肩に触れて、声を上げる間もなく振り返らされた。彼は私に合わせるように屈んで、優しく頬に触れる。 「やま、」 「キスしていい?」  今度は、私が答えを言うよりも先に顔を寄せたりせず、ただじっと真意を覗くように、私の瞳を見つめていた。  オニキスのような美しい輝きを放つ目に見つめられ、息が止まりそうだ。私が心不全になったら、原因は間違いなく目の前の男だろう。 「そういう演技、いいから」  どうにか逃して欲しくて呟いたのに、大和は決して私から目を逸らさずに言った。 「嫁口説くのに演技もクソもねえだろ」  運転席に続くこの場所は、海沿いでとても人に見つかってしまいそうには見えない。深夜のこの時間、とまっている車はないようだし、そもそもこの場所はまるで世界に見捨てられてしまったみたいに静かだ。  誰かに助けを求めることもできなければ、たとえば誰かがキスをしていても、気づかれることもない。 「拒否する理由、見つかった?」  周囲を見回していることに気づいていたのだろう。大和は唇の端を持ち上げて笑いながら、唆すように私の耳に囁いた。 「デート、すっぽかしたのはごめん」 「ん」 「悩みは……今話した」 「うん」 「……じゃあ、一回、だけ?」  頭がうまく回らなくて囁いたら、大和は子どものように笑った。答えるよりも先に顔を寄せられて、目を瞑ると優しく熱が触れる。
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