その1 演劇部

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その1 演劇部

演劇部に、体験入部した途端、私の話す言葉が、福岡イントネーションになっていたらしい、、、 演劇部の先輩に、言われて初めて意識した。 誰が聞いても、方言だと思う表現、、、例えば、『何をしてるの?』は、 『なにしとっと〜』、、『なにしよーと』よく使っていたが、 話しているイントネーションまでは、気づいていなかった。 年齢が若ければ若いほど、住む場所の言葉のイントネーションが耳から入り、 脳が、その音を正確に言葉にしていくスピードは、大人顔負けらしい。 ヒヤリング能力が、10歳までは抜群なんだという話を聞いて、 そう言えば、当時、弟のイントネーションの変化が、早かったことを思い出した。 気づいた時は、OKINAWAのイントネーションと比べると、至って、自然な気もしていたが、 ひとつずつ、言葉を単語で発声すると、分かり易かった。 委員会、苺、机、幾つかの単語を発していて、先輩たちとの違いに、少々、驚いた、、、 OKINAWAの人のイントネーションは、核家族で育つと、至って標準語に近いということも教わった。 驚いた反面、私は、生まれてからずっと、いわゆる、地元、自分の田舎だと呼べる場所がなかった。 子供の頃は、色んな場所へ住める、友達が増える、そんな風に思った時期もあったが、 やはり、中学生にもなると、自分の地元がある人が、羨ましく感じた頃だった。 イントネーションも、だいぶ変化し、あっという間の、1週間だった、、、案外、楽しかったが、 全く、演劇部の部活動の感じはなく、私のイントネーションを変えてもらった日々になった。 「よかったら、このまま、演劇部で活動しませんか?」 そんな風に、勧誘されたが、、、丁重に辞退した。 気が変わったら、入部、待ってます、、、と言われたが、、、演劇とはご縁は無かった、、、 その後、19歳の頃、劇団俳優座の方に声をかけられた、、、 その劇団出身の女優さんと会う機会を頂いた時だった、、、その頃、まだ、学生だったが、 就活で、色んな業種の方に、会いに出向いた時期があって、現場の人の声を聞いてみたいと、 意外と活動的な自分だったが、その時、OKINAWAでの演劇部の話をさせて頂いたことで、 「ご縁があるのかもしれませんよ、、、」 と、社交辞令だったのかもしれないが、劇団の方に言われた言葉に、 チャレンジしてみてもいいのかもしれないと、気持ちが揺れた、、、が、 時間と共に、忘れていくことになった、、、やはり、表にいるより、裏方の方が、自分にはあっていると思った。 今、思うと、ほんの一瞬ではあったが、キラキラした時間を体感できたことは、 幸せだったなぁ〜と、、、正直、思う。
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