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福岡県からOKINAWAへ
小学校最後の、校外学習レクレーションで、スケートへ行った。
スケートリンクは、勿論、貸切。
初めて、スケート靴を履いて、リンクへ向かうも、
なかなか氷の上には到達できなかった。
『なぜ、スケート?』
ローラースケートや、スケボーが男子の間で、流行り始めた頃だった。
皆んなは、問題なくスケート靴を履いて、リンクへスタスタと歩いて行く、、、
数名の女子で、恐々と、手すりを頼りに、ゆっくりと歩いては休み、歩いては、、、
時折、眼が合うと、ため息まじりに、苦笑いするくらいだった。
ようやく、リンクに到着する、転びながら必死に起き上がっては、滑りたいイッシンの子、
スケートができる子に、つかまって歩いている子、いつからそんなにスケートが上手くなったのか、
見ていると異次元にいるようにしか見えない子、色んな子達に、圧倒されながら氷の上に片足を置いてみた。
「怪我をしないように気をつけなさいね」
前日、さりげなく父から言われた言葉に、エコーがかかり、リフレインしていた。
親御心なのは、解っているが、いつも、私が何処かへ行く前日や、初めて何かにチャレンジする前に、
コワイ呪文のようで、お守りの呪文にはなっていなかった。
嫌な予感は当たる、、、
ヒヨコ歩きのようではあるが、なんとか氷の上にいることにも、少し慣れて来た時だった‥‥
「横並びに、皆んなで手をつないで、滑ってみようよ!」
誰かが言い出すと、自然と、皆んなで横一列になっていた。
1番リンクの入口に近い私は、端っこで、なんとか隣になった子と手を繋いで、自然とリンクの方へと連れて行かれた。
「わぁ〜なんだか、氷の上にいることが不思議」
そんな事を口にした、その瞬間、、、、、、、、、、
横並びになって、すべり始めたのに、ザザザザァーーーーーと、倒れていった。
しかも、私の方へ、倒れてきたのだ、、、。
氷と、生徒達に挟まれて、気を失っていた。
体の左側に圧が掛かった為、左手首を怪我した。
その時は、物凄く怖かった。手首の骨にヒビが入ったが、思えば、命に別状は無かったことの方が、
大事だと後から思った。しかし、怪我をしたことより、私にはコワイことがあった。
恐怖の大魔王の方が、怖かった、、、これが、本心だった。
父から、言われた言葉を気にしすぎている自分が嫌だった。
『やってしまった‼︎ ‥‥気をつけていたのに、、、』
怪我の痛みより、親に心配かけていることが、やはり、気になっていた。
親の心配は、有り難いと思う。が、子供にとっては、プラスにはならないと思っている。
大人になって、感じたことだが、信じる力みたいなモノが、弱くなってしまう、、、
親から、信じてもらえている、、、自分は、大丈夫なんだ、、、というチカラや、思いを、、、
引っ越す前に、整形外科通いになってしまい、早退することが許された。
勿論、校外学習レクレーションでの怪我は、大ごとになった。
整形外科に、担任を含めた数名の教師だけで、待合室が混雑していたことと、
待合室に大きな水槽があって、その中を、悠々と泳いでいらした魚が、初めて見るピラニアだったことは、
今でも、忘れない。
小学校の卒業式も、前日のリハーサルで、卒業証書を頂き、1人卒業式となったが、一生モノだと思っていて、
私の宝である。
卒業式当日、引っ越しの荷物が出た後に、車がある為、フェリーでOkinawaへ行くことになっていた。
父は仕事がある為、先にOKINAWA入りしていたが、残りの家族は、車で父の実家がある鹿児島へ行き、
数日後、フェリーで沖縄へと出発した。
初めての船、、、あぁ〜どうなることやら、、、日本に台風接近中であった。
ちょっとハラハラドキドキ、船旅を満喫出来ると思ったのは、弟だけだった。
次の日は、OKINAWAかぁ〜、、、、どんな所なんだろう? 父は那覇港へ迎えにきているはずだが、、、
色んなことが、頭の中でグルグル回っていた。
楽しいはずの船旅が、沖縄へ着いてから2ヶ月ほど、毎日、揺れていた。
揺れているように感じるくらい、船酔いが大変だったということだ。
弟だけは、船長さんから、帽子を借りたと言って、嬉しそうに、見せに部屋を出たり入ったりしていた。
海は好きだが、船旅は、、、、思い出すと、揺れ始めるくらいである。
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