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中学入学式
唐突ですが、誤解を恐れずに、自分が10代で、経験した事を、正直に、そのまま書きます。
これは、時代が昭和だったこと、、、沖縄県が、本土返還されたのは、1972年5月。
それから10年近く経ってからの話になります。
返還前は、パスパートなしでは、OKINAWAへは行けず、ルールがアメリカだった。
つまり、外国?
引っ越してみて、法律は変われど、まだ、まだ、返還前の色んな事が残された状況が多々あって、その時にOKINAWAに
住んでみて、初めて気づく事、感じる事も沢山あった。
子供の時代に住めたことは、自分の選択では無かったことや、大人になって仕事関係や、自身で選択し、
住む場所を決めるのとでは、大きく違いがある。
あの時、父が単身赴任をしていたら、きっと、OKINAWAへ行く機会は、夏休みを兼ねて父へ会いに行ったか、
大人になってから観光で行くほか考えられなかったと思う。
当時は、父が転勤になる度に、自分1人が犠牲になっているかのような感覚でいた。
福岡を後にしてから、私にとっての福岡生活が、充実していた事と、沢山の友人に、沢山の思い出が、
毎日、ぐるぐると、夢にまで出てくることで、逆に寂しくなったり、、、
『もう転校は勘弁して欲しいです』と、ブータレっ子の毎日であった。
これから、中学生になるのだというのに、、、
私には、中学の入学式が待っていた。
入学式当日、丘の上の中学校の校門を入ると、もう2度と出てこれないのではないかと思うほどに、
なんとも言えぬ緊張感で、気が遠くなった、、、。
一目瞭然だったが、真新しい制服を着た生徒達が、校庭へとゾクゾクと集まり始めた、、、
クラス名簿のような張り紙を貼った壁を見上げて、自分のクラスの列へ並ぶ。
なんとも1学年、新一年生のクラスも多いが、生徒数も、、、ひとクラス53名程いる。
超マンモス校であったことにも、驚いた。
式が始まり、日の丸、国歌斉唱が始まると、部外者侵入で、国旗が燃えている。
何やら近くで騒ぎがあり、一旦、式が中断することもあった。
入学式の思い出は、中断した事、それを見て、恐れ慄いた生徒が、皆、ナイチャーだったと、
すぐに分かったくらいである。シマンチュと、ナイチャー。
シマンチュは、沖縄の人、、
ナイチャー、即ち、内地の人(本州からきた人)で、OKINAWAの人でないということ。
式の最中に、後ろに並んでいた女子生徒に、「びっくりしたでしょ?」と声をかけられた。
その子が、OKINAWAでの最初の友。
彼女は、OKINAWA生まれだが、父親がOKINAWA出身、母親が宮崎出身であったことから、
私より、綺麗な標準語を話していた。
私は、出身が関東だが、福岡へ小3終わりに転校してから、すっかり福岡のイントネーションに、
変わっていたことすら、気づいていなかったのに、彼女は、福岡だと、私が何処から来たかを分かっていた。
式も終わりに近づき、なんとも視線を感じて振り向くと、3年生の先輩方が、後ろに並んで、式に参加していたことに気づいた。
式の後、順番に、クラスへ入っていく待ち時間に、肩をトントンと叩かれ、振り向くと、いかにも、、、なスカート長めの、薄化粧か?
と分かる、ちょっと、コワモテだが綺麗な先輩に、声をかけられた。
「なんですか?」と返すも、アゴでこっちだよとサインを送られ、渋々と、ついて行ったのが、屋上だった。
『なんかやばくない?』 内心はそう思ったが、正直、舐められないように毅然としてれば大丈夫だと思った。
ジャーーーーンと、音楽と共にご登場‼︎‼︎ かと思うような現れ方をしてきた3年女子らしき生徒数名が近寄ってきた。
『あなた、OKINAWAじゃないでしょ?どっから来たんだ?、、、それから、目つきが悪いんだよ!」
OKINAWAのイントネーションで、捲し立てられた。
いつ目が合ったのか、目つきが悪いとまで注告される程、睨めっこした覚えはなかった。
そんな難癖をつけられて、黙っていれば良かったのか、気づくと、反論していた自分に驚いた。
「睨んだ覚えはないですが、不快にさせていたのでしたら、すみません‥‥
‥‥生まれつき、この顔ですから、仕方ありません、、、入学早々、遅刻できないので、クラスへ戻っていいですか?」
『すごい反論してる、、、先輩達の顔が、益々、コワモテになってきた、、、どうしよう、、、』
が、本音だった。喧嘩を売られて、買いそうになったというより、もう買ってしまっている。
そんなやり取りをしていると、1人男子生徒が、やって来て、1番コワモテの女子生徒に近寄って、こっちを見ながら
話をしていたが、急に態度を変えて、言われた。
「今日は、弟に免じて、戻っていいよ!」
男子生徒は、ごめんねと言いたそうな仕草をして、走って先に帰っていった。
助け船?と思いつつ、、、「今日は、帰っていい?」
なんだか意味がわからぬままに、クラスへ戻った。
クラスに戻って、驚いたことに、私の席の隣に、その男子生徒が、気まずそうに座っていた。
何も言わずに着席したが、これから、どんな中学生活になるのかと思いながら
まだ、気持ちだけはメラメラ燃えていた。
その後、2度と呼び出しされることもなく、学校のどこかでバッタリ出会うと、ニヤッと笑って通り過ぎていく、
3年の先輩が、卒業式の日に謝りに出向いてくれた。
あの日の出来事は、忘れはしないが、日々、引きずるほど気にはしていなかった。
それは、私が寛大であったのではなく、呼び出した先輩の弟くんが、ずっと気にしてくれているのを、毎日、目の当たりにしていた事と、
そんな話を知ってか知らずかは、別として、同じクラスの生徒の皆んな、真っさらな人ばかりで、何より優しかったのが、私の救いだった。
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