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心は、毎日が台風
そんなこんなで、中学生活スタートし、毎朝のNHKのテレビドラマの曲が聞こえてくると、渋々、登校していた。
走って、ギリギリである。遅刻はしなかったが、校門が閉まる時間ギリギリだと、生活指導の先生が、待ち構えている。
台風が多いOKINAWAなので、天候が悪い日は、安全面を考えて、登校か、休校か、それもギリギリに決まる。
家が近かったこともあり、それまでは、早く登校していたが、傘をさしても、ずぶ濡れになって登校した日に、
「あっーーーー、今日は休校だから、ごめんね〜、気をつけて帰ってよ〜」と幾度か言われたこともあって、
顔も名前も覚えられていた。
そのこともあり、登校する時間がギリギリになっていった。
早く登校したところで、、、が、理由の一つだった。
段々、慣れてくると、朝の挨拶だけで終わらず、「朝ご飯は、何食べた?」 「顔色がわるい」
「顔を上げて歩け〜」 色んなことを言われながら、毎朝、登校していたが、表情や、態度、もしかすると、
挨拶の声のトーンで、嫌々、登校しているのが、そのまま分かってしまっていたのかもしれない、、、
今だから、そう思う。
なんて身勝手な、、、贅沢な悩みだったのかもしれないが、、、
学校へ行くのが苦痛に感じた理由は、第1が、給食。
自分の好き嫌いが原因とはいえ、あの当時の、給食が、私にとっては、苦手の、ひと言だった。
ごめんなさい、、、給食が、毎日、沖縄料理。
小学校の時の給食とは、全く違っていた。
カレーや、スパゲティー、ビン牛乳に、時々、コーヒー牛乳や、イチゴ牛乳、プリンやゼリーではなかった。
沖縄料理が好きな方には、「いいなぁ〜」と声が聞こえてきそうです。
自治体ごとに、給食メニューも違うと思いますが、私にとっては、驚きの毎日だった。
大袈裟ではなく、毎日、ソーキそば、ゴーヤチャンプルー、給食の色が、全面、薄茶色。
栄養やバランスを考慮して、給食を作ってくださっていたことなど、考える余裕もないくらい、
数ヶ月に1度、コーヒー牛乳とパンにジャムがある日だけ、救われた気持ちになった。
給食を食べないで、6時間授業を受ける毎日が、苦痛以外の何ものでもなかった。
耐えきれず、母に打ち明けた。
「もう、帰りたい、、、」そう話を切り出して、とことん聞いてくれた母だった。
だが、「どこに、帰るの?」
そのひと言で、私の最後の砦は崩れていった。
母に、打ち明けた後も、私が、まだ、誇張して話をしていると思われていたのが悔しくて、
牛乳を持ち帰って、ようやく、まともに話を聞いてもらえたこともあった。
まるで、食べられないかのようなニュアンスでしたら、申し訳ありません。
13歳の切実な悩みの一つで、その当時は、誰かが、解決してくれる問題ではなく、自分で乗り越える他ない、、、と、必死でした。
それが、きっかけで、美味しい感動したものは沢山ありました。
給食が食べられないことを知った、近所のスーパーのお姉さんと、お兄さんが、
下校時間になると、スーパーの袋に、お菓子を沢山入れて、待っていてくれたこと、、、
お菓子ではありましたが、元気出してね、、、と励ましてくれていたことが、嬉しかった。
その時から、バーベキュー味のお菓子が大好きになって、今だに、買い物へ行って、その商品を見る度に、思い出す。
ファーストフード店が、近所に、まだ、KFCしかなかった時に救われた。
母が作る、ピザトーストに救われた。家族で行くアメリカンステーキの店の、支配人がアメリカの方なのに、
日本語を覚えて、流暢な日本語で、ステーキの美味しさを教えて下さった。
自分でも、どう乗り越えていくかを、自問自答しながら闘っていたことを、思い出すと、全部、経験。
先入観が強すぎた13歳だった、、、今は、いい思い出になっている。
国際通りで、色んなお店があった中で、行く店が増えていった。
ブルーシールのアイスクリームは、ダブルでオーダーして、手にした、あのアイスに、、、驚いた日を忘れない、、、。
OKINAWAへ行く前に、アイスクリームは、コーンにクルクル巻きの、ソフトクリームが主流だった。
時に、シャーベットもあったが、シングルのサイズが子供の拳と、大人の拳ほど違って、
なんとも、驚いたというか、感激だった。
「いいんですか‼︎ こんなにダイナミックで‼︎」と、満面の笑みで、アイスクリームを買ってもらっていた、あの頃、、、
クラスメイトとも仲良くしてもらって、授業も楽しかった。
授業ごとに教師が変わるのも新鮮だったし、何より、想定外だったが、クラス委員になってしまい、
担任は元い、学年の教師全員に名前も顔も覚えられていて、なぜか、苗字ではなく、名前を呼び捨てにされていた。
クラスで、私だけ呼び捨て、、、理由は聞いていないので、分からずじまいだが、途中からは、
『悪くないかも、、、』な〜んて思うようになり、気づくと、
心の台風も、すっかり通り過ぎて行き、台風一過の後の、スカッとした晴れた日が、心の中で続いていった。
そんなこんなで、成績も悪くならずに済んだこと、自分では思いもしないことで、本領発揮できたこともあった。
それが、体育の授業だった。
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