今まで見えていなかったもの(2)

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今まで見えていなかったもの(2)

 ホールのざわめきが大きくなった。  アイリスの意識もはっきりしてきて、周囲の人々の顔も、わかってきた。  ああ、本当に、人って、いろいろな顔をしているのね。  アイリスは思う。  厳しい顔。  自分を侮る顔。  バカにする顔。嘲る顔。満足げな顔。  (……知らなかった)  (あなた方は、わたくしをそんな風に、思っていたのね)  一方で、アイリスは目を真っ赤にして泣き出した令嬢達に気づいた。  アイリスは仰天する。  (……??)  (えっ? どうして? なぜあなた方が泣いているの?)  (わたくしのことを、自業自得ね、と笑ったりしないの……?) 「ア、アイリス……!」  アイリスは、弱々しく自分の名前を呼ぶ、女性の声を聞いた。 (お母様……?)  アイリスは、忙しく目を動かして、両親の姿を見つけた。  お父様。お母様。  わたくしの両親は、厳しい。そう言っていいと思う。    お父様はいつも「お前がどう思ったかはどうでもいい。殿下のご意向に沿えるようにさらに努力しなさい」とおっしゃっていた。  お母様は勉強と行儀作法にはとても厳しく、妥協は許されなかった。 「侯爵家にふさわしい人間になりなさい」が口癖だった。  なのに、今はお母様は真っ青な顔で、今にも倒れそう。  そしてお父様ときたら、そんなお母様に気づかないほど動転した様子で、わたくしの方に駆け寄ろうとしているみたい。 (いつも落ち着いていて……動揺したところなんて、見たこともなかったのに)  アイリスは冷たい大理石の床の上に横たわったまま、不思議な感覚を味わっていた。 (ここからは、今までは見えなかったものが、よく見えるわ)  うまくいっていると思っていた婚約者の本当の顔。  関わりがないと思っていた令嬢の、悪賢い顔。  ただ、厳しいだけと思っていた両親の、動揺しきった顔。  そして、自分の本当の気持ちも。  アイリスは自分の心を見つめて、正確に読み取る。  婚約者であるエドワード王子に対しては、もう『未練はなし』。  侯爵家の生活は、『未練はあるけど、まあ仕方ない。命には替えられない』。 (んん、この姿勢も辛いわ。起き上がれないかしら)  アイリスは体に力を入れようとするが、やはり動けない。  その不快な不自由さに目が潤み、思わず目の前にいるエドワードをじっと見つめた。  すると、おかしなことに、エドワードがだんだん、慌てた表情になっていき、アイリスは驚いた。 (変ね? 自分の思う通りになったのに) (これは、あなたが望んだことでしょう……?)  起き上がりたいけど、なぜか、頭が痛くて、自分では動けない。  * * *  その時、アイリスは涙が目尻に溜まった顔で、ふわりと笑った。  それは、美しいけれど、冷たい、完璧な微笑ではない。  儚げで、優しい、心からの微笑みだった。  アイリスは思った。  もう、婚約者もいらない。  侯爵令嬢の誇りもどうでもいい。  ただ、自分の心に楽に、生きていきたい、と。 (。嫌なことは忘れてしまいましょう)
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