記憶から失われた、『王子様との婚約』(1)

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記憶から失われた、『王子様との婚約』(1)

 大理石の床の上に横たわったまま、ふわり、と微笑んだアイリス。  その、アイリスらしくない、無防備な微笑みに、人々は驚いた。  アイリスがとても可愛らしかったのだ。  その意外な笑顔に、なぜかエドワードが顔を赤くした。  パチパチと高速で瞬きをすると、耳まで赤くなった。 「アイリス……?」  そろそろとエドワードがアイリスに手を伸ばそうとする。  しかし、そんなエドワードを遠慮なく手で押しのけた人物がいた。 「アイリス!! すみません、道を開けて! どうして皆、何もしないんだ!! アイリス、意識はあるのか!? 返事をしてくれ! 誰か、医師を呼ぶんだ! ノーフォーク侯爵! 侯爵夫人!! 早くこちらへ!」  早口で叫びながら、ガチャガチャと腰に下げた剣を鳴らして、誰かがアイリスの傍に走り込んできた。  自分の元にひざまづく、騎士姿の青年をアイリスは見た。  短くカットした茶色い髪。  深い森のような緑色の瞳は揺れて、動揺した想いを映し出している。  ユーグだわ。  アイリスは安心して、まるで幼い少女のように、信頼する相手に両腕を差し出した。  ユーグがしっかりとその手を取り、そっと抱き起こしてくれる。 「アイリス、大丈夫か、頭は打っていないか、どこかに怪我は……」 「ユーグ、大丈夫よ」  アイリスが喋ったことで、周囲に、ほっとした空気が流れた。  まるで金縛りから解けたように、アイリスの両親も、ようやくこちらに向かって動き出した。  ユーグに体を支えてもらいながら、床の上に座っているアイリスは、ふと、自分の目の前に第2王子であるエドワードがいることに、目を丸くした。 「まあ、王子殿下……こんな格好で、失礼いたしました。リリベル男爵令嬢にも、失礼を。嫌だわ、わたくし、なぜ床の上に寝ていたのかしら?」  アイリスの言葉に、一旦緩んだ会場の空気が、また緊張する。  どういうことだ……!?  そんな空気感が伝わってくる。  アイリスは恥ずかしげに体を起こし、優しくリリベルにも微笑んだ。  なぜ自分が床に横たわっていたのか、よくわかっていないなりに、気恥ずかしい想いをしているようだ。  アイリスの言葉に、ぎょっとするエドワード。  ユーグの視線が、すっと険しくなる。 「ア、アイリス!?」  いつも冷静な母がついにわっと泣き出した。  そばにいた女性が、慌てて母に寄り添い、話しかけている。  母は首を振ると、よろよろとしながら、アイリスの元に向かう。  いつも怖い父は、ついにアイリスの元に駆け寄った。  震える手で、アイリスの手をぎゅっと握り締める。 (まあ、お2人とも、わたくしのことを、大切に思ってくださっていたのね) 「お父様、わたくしなら大丈夫ですわ、どうぞ安心してくださいませ。一体、どうしてしまったのかしら……。貧血かもしれませんわ。お父様、申し訳ございませんが、わたくしを控室まで送ってくださいませんか?」  そう言うと、アイリスは済まなそうな顔で、エドワードを見上げる。 「とんだ粗相をいたしまして、お恥ずかしい次第でございます。王子殿下もどうぞわたくしのことはお気になさらず……」  ユーグがアイリスをそっと立ち上がらせ、すかさず父がアイリスを抱き上げるのを、呆然と見ていたエドワードは、思わず未練がましく口走った。 「アイリス? 嘘だろう? きみは私の婚約者じゃないか。それを」  父の腕の中で、アイリスは目を丸くした。 「……婚約者? わたくしが、王子殿下の?」
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