婚約破棄され教会を追い出された回復薬の聖女ですが、騎士団長様の癒し係として頑張ります!

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 回復薬の聖女。  聖なる魔力を薬草に込め、回復薬を作るのが仕事だ。  どんなに辛くても、寝不足でも、苦しむ民を救うためにと日々頑張ってきた。  そんな激務に明け暮れていたある日、久方ぶりに王家主催のパーティーへの呼び出しを受けたので何事かと思えば……しばらくぶりに会った婚約者の隣には、艶やかな黒髪に朱い瞳の少女がいた。  彼女の周りに髪の色と同色のモヤのようなものが渦巻いていたが、おそらく私にしか見えていないのか、誰も不審がってはいない。  あれは一体何なのだろう? 「僕は奇跡の聖女である彼女と新たに婚約を結び直す。故に、君――ティファニー・ベイツとの婚約は今この時をもって破棄させてもらう」  ホールに声を響かせたのは、我が婚約者ハンス第三王子殿下。  婚約破棄宣言を突きつけられたというと相手はというと他ならぬ私だ。  私は平民の生まれでありながら、王家が私を自由に扱うため、王子殿下との婚約が結ばれていた。  第三王子の妃であればそこまで社交等の能力は求められない。だから、私にとってもさほど悪い話ではなかったのだけれど……。  事前に話があると言われてはいたが、私が入場したのと同時に「ティファニー!」と呼び付けられた途端のこれである。  何が起きているのだろうか。あまりの困惑に、少々反応が遅れてしまった。 「どうして黙っている。何か言ったらどうだ?」 「え……ええと。色々と訊きたいことがあり過ぎて、なんと申し上げて良いものやらわからず。まずですが、その女性はどなたでしょうか?」 「そんなことも知らないのか。彼女はリサ。国中に防御結界を張り、祈るだけで人の蘇生もできる奇跡の聖女だ」 「……奇跡の聖女?」  そんなの初耳もいいところで、首を傾げるしかない。 「薬草などに力を込めずとも奇跡を発揮できる乙女など、この世に彼女しか存在しないだろう。神の愛し子である彼女こそ、僕の妃に相応しいのだ!」 「ふふっ。ありがと、ハンス様。リサ、手を取ってもらえて嬉しいっ」  輝かんばかりの笑顔を浮かべる少女が、飛びつくようにして殿下に抱きついた。  纏うドレスは私と違って上等なものなのに、その動きの幼さに私は驚く。まさか私と同じで平民の出身? 「一つ質問があるのですが。リサ様、でしたか。彼女の身分を伺ってもよろしいでしょうか」 「彼女は伯爵家の令嬢だ。薄汚い平民の血が流れるお前と違ってな! ただ、彼女を傀儡にしようと目論んだ醜悪な家族のせいでその存在は秘されていた」  しかしある日、圧倒的な奇跡の力を発動させ、彼女の存在は広く知られたのだという。  そして奇跡の聖女と呼ばれるようになった――と、なぜか自慢げに殿下は語った。 「出自も、可憐さも、力も何もかもリサが優っている。平民にありがちな栗色の髪も顔も地味で遥かに劣等な聖女のお前はお役御免なんだよ」  ハッ!と思い切り嘲笑されて、私はもう何も言い返せなくなった。  何を言っても無駄なのだと理解ってしまったから。 「そうですか。……では、失礼します」  未練はなかった。  別に望んで婚約した相手ではない。ろくに言葉を交わしたこともなかった書類上の婚約者。今までの努力も知らないくせに嗤われたのは悔しいが、それだけだ。 「どうぞリサ様とお幸せに」  踵を返し、パーティーを出る。  背後に感じる嫌な空気――奇跡の聖女から発せられているそれを、見て見ぬふりしながら。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆  散々なパーティーから帰った翌日。  朝早くに叩き起こされた私は、無慈悲にも告げられた。 「貴女を我が教会から除籍・追放します。今日より洗礼名ベイツを剥奪、ただのティファニーに戻りなさい」 「はい……?」 「この教会で働かせていたのは、貴女が王子殿下の婚約者であったからです。加えて回復薬の聖女はもはや不要。断罪された貴女など、留め置く必要がありません」  すらすらと司祭が言葉を紡ぎ、最後には薄情な微笑みさえ浮かべて見せる。  なんたる鬼畜。畜生。でも、きっと教会には奇跡の聖女が寄越されるのだろうから、私の意思は関係なく追い出されるのだろう。それに私だってあんな邪悪な気配がする者と一緒にいたくはない。  でも、この扱いはひど過ぎると思う。 「……せめて、再就職先だけでも見つけてはいただけませんでしょうか。このまま着の身着のままでは死んでしまいます」  私はろくな報酬を支払われることなく、教会での寝食をさせてもらっていた……すなわち住み込みで働いていただけだった。  衣装も豪華なのはパーティー用の一着のみで、それは使用時にしか貸し出されない特別なもの。普段は簡素な白いローブを着ている。  下着姿同然になるのを我慢してローブを売ったとしても、いかほどの金になるだろう。  数日で行き倒れてしまうのが目に見ている。  司祭だってそれくらいわかっているはずだ。わかっているはずなのに――。 「追放された貴女の今後と我が教会、一体何の関係があるというのです?」  そんなことを言い出すのだから、ますますひどい。  あまりの理不尽に唇を噛んだ。  何も知らない王子に捨てられるのはまだわかる。が、まさか教会からも同様だとは思わなかった。  そのあとのことは、正直よく覚えていない。  気がつけば教会を出ていて、見たこともない土地をふらふらと彷徨い歩いていた。 「はぁ……」  さて、これからどうするべきか。  職なし、金なし、食べるものもなし。歩いているうちにどんどん空腹感が生じてきて、何か美味しい木の実でもないかと森に足を踏み入れた。  ――そこが、魔物の巣窟となっている、隣国のキシュエル皇国との国境沿いにある森と知らずに。 「何、これ……」  確かに木の実はあった。  何かにズタズタに食い荒らされていて、とてもありつけるようなものではなかったけれど。  諦めて引き返そうとしたところで、私は黒い影に囲まれた。  ――これって、かなりやばい状況なのでは?  黒い影から感じるのは、モヤモヤとした黒い気配。  私の聖女の力は、薬草に込めて回復薬とすることでしか発揮されない。つまり今は無力なただの乙女でしかないわけだ。  黒い影――魔物たちが目をぎらつかせ、吠え立てながら舌なめずりをした。  私の人生、終わったかも知れない。  婚約破棄されて教会を追放された時点で終わったも同然だったけれど、まさか餓死するのではなくこんな死に方になるとは思ってもみなかった。  平民だった私が、聖女の力を見出されて教会に放り込まれた日のこと。多忙な毎日の中で記憶が薄れてしまった、王子との婚約式の日のこと。ひたすら人を救うためだけに過ごした日々。奇跡の聖女を理由に婚約を破棄されたあとのこと。  一瞬で脳裏を駆け巡る記憶の数々は、きっと走馬灯というやつだ。  走馬灯は死から逃れるための術を得るためのものだとどこかで聞いたことがあるが、打開策は見つからないまま終わってしまう。  そして、ケダモノの醜悪な牙が私に迫ってきて……。 「魔物に女性が襲われているぞ! 全員、突撃しろッ!!」  耳馴染みのない鋭い声がした。  次の瞬間、吹っ飛ぶケダモノの頭部。私を取り囲んでいた他の個体も一瞬にして全滅させられ、断末魔を上げることすらなく倒れ伏す。  目の前で繰り広げられた出来事が信じられずに目をぱちくりさせると、魔物の首を撥ね飛ばした張本人がこちらを振り返った。 「どうだ。怪我は?」  ありません、と言おうとして、私は思わず言葉に詰まる。  騎士服を纏い、腰に剣を納めた青年――彼があまりにも綺麗だったから。  薄暗い森の中で木漏れ日を反射して輝く亜麻色の髪。  程よく日焼けした、野生味がありながらも整った顔立ちをしている。しかも吊り目がちなエメラルド色の瞳で真正面から見つめられては声を失ってしまっても仕方ないと思う。  代わりにこくんと小さく頷くことで、答えとした。 「それは良かった。だがお嬢さん、このあたりは魔物の生息地だ。武装もなしに森に来るのは危ない。ちょうど見回り中に遭遇できたからいいものの……」  やれやれと言いたげな彼の言葉に、なぜか涙が出そうになる。  風貌からして間違いなく騎士様であろう、たった今命を助けてくれたばかりの彼が、本気で私を心配してくれていることがわかったからかも知れない。  やがて、残りの魔物を片付けていた他の騎士たちもやって来て、大丈夫かと次々に心配されまくった。  彼らは隣国キシュエルの辺境を守る騎士団らしい。  森の中の魔物を討伐したり、辺境の治安を維持するのが騎士団の仕事。  私はいつの間にか国境を越えていたようで、騎士団の管轄の中に入っていた。もし国境より向こうなら助けられなかったと言われて思わず身震いする。……今回のことは不幸中の幸いだったということだ。  そんなことを教えてもらっているうちに徐々に落ち着いてくる。  騎士団の中でもやはり一際美しい青年に、深々と頭を下げた。 「改めまして先ほどは助けてくださって、本当にありがとうございました。私、ティファニー・ベイツ……いえ、ただのティファニーと申します」  白いドレスの裾を摘んで、ゆるりとお辞儀する。  あまり丁寧な挨拶をする機会はなかったが、王子妃になる予定だったので作法は仕込まれている。感謝の気持ちとして、最大限の礼儀を尽くしたいと思ったのだ。 「騎士団長のトーマスだ。騎士団として当然のことをしたまでのこと。とはいえ、謝意は受け取らせていただこう。……ところでお嬢さん、今後はどうするつもりだ? 国境向こうに送り届けることはできるが、それ以上は我々は行けない」  このまま森から退散する? いや、それでは何の解決にもならない。空いた腹も満たされない。  私の回復薬は重要とされてきた。私がキシュエル皇国に移ってしまえば、苦しむ民もいるだろう。  しかしそれは私が死んでも同じこと。それに、奇跡の聖女とやらがどうにか手を差し伸べてくれるかも知れないし、もう戻る必要はない気がした。  だから。 「ご迷惑でないのなら、ぜひ、何かお礼をさせてください」 「お礼?」 「私、回復薬を作れるんです。その能力を活かして、あなたがたのお役に立てないでしょうか」  私は必死に頼み込んだ。  もちろん、命を救われておきながら何のお礼もなしに救われっぱなしになるのが申し訳ないというのもある。加えて、自分の今後を考えた時、どこかに身を寄せなければどちらにせよ死ぬだけなので、縋り付くしかなかった。 「お願いします! 役立たずだと思ったら、捨ててくださって構わないので」  騎士団の団員たちの間で、困ったように視線が交わされ合う。  こんな貧弱そうな小娘を拾う価値があるのか、という意味だろう。けれどしばしの沈黙のあと、騎士団長様が口を開いた。 「一度助けておきながら、お嬢さんを放置するわけにもいかない。一時的に我が騎士団で保護するとしよう。その後の処遇は戻ってから考える」 「騎士団長様、ありがとうございます!」  団長の意見だ。不満や疑念がある団員たちも下された判断に真っ向から背くことはできないらしく、反発はなかった。  助かった。本当に助かった。ここで団長に拒否されていたら本気で困るところだった。  かくして私は辺境騎士団の本部に連れ帰ってもらえることが決定。  団長の優しさにより、ひとまずは生きながらえたのである。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆  赤と緑。  鮮やかな色彩の薬草を混ぜ合わせ、聖なる力を込めながらすり鉢ですり潰す。   沸騰させたお湯に薬草を浸し、染み込ませれば、あとは小さな瓶に流し入れるだけ。 「よし、これで完成っと」  騎士団本部の一室、与えられた実験部屋で調合を終えた私は小さく呟く。  あの森で保護されてから数ヶ月。色々――出自やら国境にいた経緯を尋問されたり、なんらかの工作員として送られてきたのではないかと疑われたりなど――あったものの、騎士団で働くことが認められ、回復薬作りに励んでいた。  聖なる力がなければ、いくら薬草汁を作ったところで大した効果は発揮されない。だからこその聖女なのだ。  私の回復薬はたいへん好評で、騎士たちを喜ばせている。  特に……。 「すまない、お嬢さん。今日も回復薬をいただきに来た」 「騎士団長様! どうぞ、たった今新しいのができたばかりなんです」 「じゃあ早速だが飲ませていただこう。これがないと生きていけない体になってしまったようだ。大袈裟でも何でもなく、本当に」  そう言った騎士団長様が、可愛らしくリボンを結んだ小瓶の蓋を開ける。  ふわぁ、と部屋の中に充満する独特の香り。それを鼻いっぱいに吸いながら、彼はごくごくと回復薬を喉の奥に流し込み始めた。  するとたちまち、わずかに疲労が見えていた顔色が良くなっていく。  赤と緑の薬草を用いた回復薬には、疲れを癒す効果があるのだ。  白と緑の薬草の回復薬は傷の治癒。赤と黒の薬草の回復薬は毒の治癒……などなど、使う薬草によって効能は変化する。  聖なる力の込め方でも効き目の強弱が変わってくるので、回復薬作りというのは結構奥深い。  しかし、祖国ではあまり薬草が手にに入らず、傷の治療の回復薬くらいしか作れなかった。  けれども国境沿いの森、特にキシュエル側ではかなり多くの種類が生えているようで、それを騎士団長様が採取して持ってきてくれるため、とても助かっている。 「ぷはっ。……今日もありがとう。おかげでこのあとも頑張れる」 「良かったです」 「癒し係のお嬢さんの笑顔を見ると、心まで癒されるようだ」  この辺境騎士団における私の役職名は、聖女ではなく癒し係。名前よりも、『癒し係』と呼ばれることが多かったりする。  そんな私ではあるが、心を癒す力は持ち得ていない。なのに『心まで癒される』なんて言われると、なんだか照れ臭くなって、どういった反応を返せばいいのかわからなくなってしまう。  迷っているうちに、騎士団長様は懐から薬草を取り出した。  また採取してくれたのだろう。赤や白、緑などの薬草が多い中で、見たことのない色の薬草も混ざっていた。 「わあ、こんなにたくさん、ありがとうございます! 見つけるのが大変だったでしょう」 「そんなことはない。森の見回りのついでだからな。いつも回復薬で助けられているのは自分たち騎士なのだから、これくらいはして当然だろう」 「でもこの紫の薬草は、文献でしか載っていないくらいの希少価値の高い薬草です。一度試してみたいとずっと思っていたので、とっても嬉しいです!」 「そうか。そんなに珍しいものとは思わなかった。それでは、新作の薬草に期待してもいいのだろうか?」 「はい。お任せください」  「期待している」と柔らかに微笑んで、ゆっくりと背中を向け、歩き出す騎士団長様。その後ろ姿の格好いいことと言ったら……思わず見惚れてしまいそうだ。  彼から力をもらえたような気がして、私は腕まくりした。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆  回復薬を作って、ひたすら穏やかな日々を過ごし続けられればいいのに。そう、切に思う。  民のために――だなんて必死になって奔走しなくていい。聖女という責任を背負って生きなくてもいい。その上、騎士団長様に自分の回復薬が役立っていると褒めてもらえる毎日は、なんと幸せなことか。  私は密かに、騎士団長様を好いている。  助けられ続けているくせに、なんとも身勝手な想いだと思う。けれども、好きになってしまったものは好きになってしまったのだ。  回復薬の調合の合間、騎士団で演習の指導をしている騎士団長様の姿を見る度に、真剣なその横顔に惹かれた。  美味しそうに回復薬を飲み干す喉の動きに魅了された。  向けられる微笑に、どうしようもなく胸が高鳴った。  きっと私は優しさに弱いのだろう。今まで優しさに触れてこなかったからこそ、すぐに虜になってしまったに違いない。 「トーマス団長はいい男だからなー」 「紳士的な団長があそこまで頻繁に女性を訪ねるなんてて珍しいことなんだぜ。『癒し係』ちゃんならオとせると思うぞ」 「何か俺らが手ぇ貸してやろうか?」  そんな私の恋心を見抜いている騎士からは冗談半分で応援されていたが、私なんかが団長に想いを抱くべきではないことくらい理解しているので、曖昧な笑顔で流しておいた。  私は騎士団の癒し係。身分も何もない、祖国を追いやられた小娘。それが騎士団長……しかもキシュエルの第五皇子なんかと釣り合うわけがないのだから。 「騎士団長様のお傍で、お仕事できる。それだけも幸せなことでしょうが」  そう言い聞かせて励んできた。行き場のない想いを回復薬に変えながら。  けれどある時、当たり前になり始めた日常に不穏の影が差した。 「隣国――お嬢さんの祖国についての噂は聞いているか」  教えてくれたのは騎士団長様。他の騎士と違って毎日欠かさず来てくれる彼は、その日はいつになく重苦しい表情をしていた。  そんな顔も格好いいけれど、私の胸はいやにざわつく。 「噂って……?」  心当たりは、全くないではない。ただ、当たってほしくなかっただけで。  けれども見事に的中してしまった。  私の祖国は現在、とんでもないことになっているらしい。  奇跡の聖女と呼ばれ、私の立場を根こそぎ奪っていったリサ。彼女は実は、聖女などという清らかな者ではなかった。  魔物を従え率いる魔女、それが彼女の本性だと明らかになった頃には、国の中枢は喰らい尽くされていた。  魔女とは聖女の対とされる存在だ。  聖女は聖なる魔力を持つが、魔女は邪悪な魔力によって魔物を扇動する。  リサの周りに漂っていた黒いモヤを思い出す。  騎士団長様に救われた国境沿いの森で見かけた魔物が纏っていたモヤに妙に既視感があると思っていた。あのモヤは邪悪の象徴、聖女だからこそ視えたのだろう。  喰らい尽くされていた、というのは文字通り、魔物の腹の中に収まったのだ。  所属していた教会はもちろん、王子に贔屓されていたから国王などに近づくのはさぞ容易かったことだろう。重鎮たちも魔物によって骨と肉だけにされ、王都にも魔物が放たれ大混乱。  さらには国中に張り巡らせて結界に見せかけていたものは呪いであり、民は国より外に逃れられないという最悪の事態だった。 「教会の生き残りが魔女の制圧に向けて動いているものの、状況は芳しくないという」 「――――」 「あの国とキシュエル皇国は同盟関係にある。教会側が我が騎士団へ協力を要請しているが……一度行ってしまえば戻ってこられるかどうか」 「呪いの結界とやらの、せいですか」 「それに加えて尋常じゃない魔物の数だというだろう。だが、腐っても同盟国だ。見捨てたとあっては、周囲の国からの糾弾は避けられない」  これは皇帝陛下のお考えだ、と言われては、私ごときが反論できるわけもなかった。  皇子でもある騎士団長様は国の決定に従わなくてはならないのだろう。たとえ、その身を危険に晒したとしても。 「どうしても……ですか?」  あんな国なんてもう救わなくていいのに、という言葉が喉元まで出かかった。  リサとかいう魔女を受け入れたから。私を捨てたから、喰われたんだ。いい気味だ。ざまぁ見ろ――と。  民たちに罪はないけれど、国に対しては、そう思ってしまう。  でも、本音をぶちまけたら、優しい騎士団長様は困るだろうと容易く想像できる。  だから私はグッと堪えた。 「すまないな、お嬢さん。お嬢さんの回復薬を飲めなくなることが残念でならない」  私は、連れていってくれないのか。  騎士団の、騎士団長様の、癒し係なのに。 「最後にありったけ、もらっていってもいいか?」  回復薬を並々と注いだ小瓶は、実験部屋の棚にずらりと並べてあった。  ざっと百瓶近く。一つ一つに丁寧にリボンを巻いて、可愛らしく飾り付けている。  騎士団長様に、少しでも喜んでもらいたかったから。  でも今は絶対に渡したくなかった。 「そんな、お別れみたいなことを言わないでください」 「お嬢さん――」 「私は聖女です。聖女でした。未来の王子妃じゃなくなっても、教会を追いやられて祖国から逃げ出しても、力はこうして残っています。それに、騎士団長様のおかげで新しい薬だって作れるようになったんですよ」  だから。 「私が癒し係として、役に立つと思ってくださるなら……どうか、捨てないで」  騎士団長様は、束の間とは言えないほどの時間、考え込んで。  やがて「わかった」と小さく頷いてくれた。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆  魔物の唸り声が響き、死臭で満ち溢れる街の中。  美しい黒髪を風にたなびかせる少女が、国境を越えた辺境騎士団を見下ろしてまるで幼児のように無邪気な笑顔で嗤っている。 「来たのね、騎士サマたち! 魔物たちのご飯になりに来てくれてありがとー!」 「お前が魔女か」 「せ〜いかい! まあ、自分から魔女って名乗ったことはないけど。リサはねぇ、魔物たちの親玉なの! だからハンス様を利用して、この国を魔物まみれにしちゃったってわけ」  少女は、ほとんど骨だけの亡骸を抱いていた。  顔の肉が食い破られているから、もうあまり面影はない。でも、私にはわかった。――あれがかつて婚約者だった王子の成れの果てなのだと。 「人殺しめ」  鋭いエメラルド色の瞳がまっすぐに魔女を睨みつける。  騎士団長様が腰から剣を抜いた。  それを合図に、後ろに控えていた騎士たちが一斉に切り掛かっていく。 「へぇ〜勇ましいこと! ……もしリサを殺せても魔物たちは死なないし呪いは解けないのに、可哀想」  彼女の朱色の瞳が妖しく光ると同時、どこからともなく魔物が姿を現す。  少女の周りをぐるりと取り囲み、庇うようにする魔物たちと騎士の戦いの幕開けだ。  斬り捨てても斬り捨てても湧いてくる魔物、届かない魔女の体。いくら訓練のなされた騎士団とはいえ、体力はいつか尽きる。圧倒的に不利な戦いで、敗北は必至だろう。  ――私がいなければ。 「皆さん、回復薬のお届けです!!」  私は叫び、巨大なカゴを腕にぶら下げて戦場を駆ける。  治癒の効能があるもの、体力強化の効能があるもの。カゴの中にぎっしりと詰められた瓶を一人一人に手渡した。 「ふーん? 誰かと思ったら、回復薬の聖女かぁ。とっくに死んでると思ってたのに。でも、ちょっと傷を治せたところで何? 無駄な悪足掻きってやつだよ」  無駄な悪足掻き? そんなことはない。  回復薬で力を取り戻した騎士たちは再び体制を整えられるだろう。  だが、この程度ではまだ終わらないのである。だって、残りの瓶の中身は――。 「これでも喰らいなさいっ!」  バシャ、と音を立てて飛び散った汁が、群がる魔物と護られる少女の顔面に直撃。  まさか私がこのような行為に及ぶと思っていなかったのか、魔女が目を丸くする。それがなんだか可笑しくて、私は笑ってしまった。  とても希少な紫の薬草で作られた回復薬は、聖なる力が大きく反映され、魔を滅する効能がある。  そのことを発見できたのは騎士団長様のおかげだ。私自身、試しで飲んでみてもなんともなかったのに、彼が服用すると体の調子がすこぶる良くなった……どころか。 『魔物に傷つけられてできた幼い頃の傷が消えた、ですか?』 『そうだ。今までいくら回復薬を飲んでもこの古傷だけは治らなかったのに……』  普通、回復薬の効能は新しい傷を癒すものだ。再び開く心配のない古傷などは「治った」と認定されて、通常は治癒されることはない。  なのに綺麗さっぱり傷跡が消えたという。  だから色々と実験した。他の騎士の方々を頼って。  結果として判明したのは、魔物による傷なら年数関係なしに癒せるという衝撃の事実。傷にとどまらず、悪質な毒でも、呪いでも、魔物が原因なら何でもだ。  魔女との戦いに参加することを騎士団長様に認めてもらったあと、私はその考えを話した。 『この回復薬なら、魔女に敵うのではないかと思うのです』 『……もしも通用しなかったら?』 『その時は責任を取ります。この命で』  成功する確信はあった。あったけれども、目の前でジュウジュウと音を立てて魔物の姿を見てやっと、確信が事実に変わった。  魔物はかき消え、魔女が施した呪いは砕ける。  薬のせいで顔面が焼け爛れたようになった魔女をただ一人、その場に残して。 「いや、いやぁっ! 何これ!? 魔物たちは――!?」 「死にました。あなたが侮った私の、回復薬で」 「お前を護るものはもう何もない。覚悟しろ、魔女」  耳が痺れるような厳しい声で告げる騎士団長様。その姿があまりに格好良くて、目眩がしそうだ。  煌めく剣先が、魔女の白い喉元に向けられる。 「リサが、リサが悪かったからぁ。お願い、ゆるし、」  続けようとしただろう言葉は、しかしすぐに吐血に変わった。  ハンス王子の亡骸がごろりと地面を転がり落ちる、その鈍い音だけがあたりに響く。  魔女は、騎士団長様に貫かれ、死んだのだ。 「我が騎士団の、勝利だ!」  騎士団長様の宣言に、騎士たちの、そして私の歓声が上がった。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆  魔女討伐の成功は、大きく讃えられた。  騎士団長様は英雄として歴史に名を刻むことに。そして勝利に貢献した私はというと、キシュエルで聖女の身分を与えられた。  余談だが、私の祖国はキシュエル皇国の属国になる。それに合わせてかつて私を破門にした祖国の教会は崩壊したので、誰も私を爪弾きにする者はいない。  私としてはいつまでも騎士団の癒し係でいたかったが、功績を上げ過ぎたので仕方ないのだろう。そうなるともう騎士団に所属している理由がなくなる。  癒し係を辞すのは本当の本当に悔しいものの、聖女になって得た報酬を使って騎士団の割と近くに家を建てる予定だ。聖女になっても騎士団長様に二度と会えないわけではないのだから……と、涙を呑んで納得しようとしていたのだが。 「お嬢さん、大事な話がある」  実験部屋の荷物をまとめていた私のところに騎士団長様が乗り込んできた。  魔女討伐の時並み……いや、それ以上に緊張した、怖い顔で。 「どうされたんですか、騎士団長様。あとで挨拶はしっかりと行わせていただくつもりなのですが」 「挨拶をしにきたんじゃない。お嬢さん――君を、引き留めにきたんだ」  『お嬢さん』から急に『君』呼びに変わって、胸をドキリと跳ねさせずにはいられなかった。  しかし動揺を悟られたくなくて、こてんと首を傾げて見せる。 「私を、引き留めに?」 「『捨てないで』と言ったのは君だろう。忘れたとは言わせない。それがどうして勝手に離れようとしている? 私はこれからも、君の癒しが必要なのに」  騎士団長様が、一歩、また一歩と私ににじり寄ってくる。  その圧に気圧されて思わずぶるりと震えた。……まさか魔女みたいに殺されることはないと思うけれども。 「で、でも、私、聖女に……。それに回復薬ならこれからも毎日お届けできますし」 「関係ない」  あっ、と思った時には遅かった。  迫る顔面。ぶつかる吐息。それから、重ね合わせられる唇。 「君はこの身だけでなく、日々の仕事で疲れた心を癒し、支えてくれた。それを今更失うなんて、耐えられないんだ」 「――っ」 「手荒な真似をしてすまない。だがこうでもしなければきっと、他の皇子に取られてしまうから」  頭が真っ白になって、なんと答えていいのかわからなくなった。  まさかこんな風なことをされるなんて、思ってもみなかったのだ。優しい紳士だった彼の変貌ぶりに驚き、それと同時に感情の波に呑まれる。  ――騎士団長様も私を好きでいてくれたなんて、というどうしようもない喜び。  ――彼と自分が釣り合うわけがないのに、という胸が痛くなる不安。  気づけば私は、小さく問いかけてしまっていた。 「私なんかが、いいのですか……?」  回復薬を作るしか能のない、平民の血の流れる女なのに。  あの魔女のような美しさも持っていないのに。 「君がいいんだ。どうか、これからも癒しを与えてはくれないだろうか。――わたしの妻として」  甘く、とろけるような囁きを浴びる。浴びてしまう。  そんなものを直撃されれば、首を横に振れるわけがないではないか。 「ひゃ、ひゃい」  情けない声を出してしまい、恥ずかしさに顔が赤くなった。  しかし羞恥に身悶える暇もなく、再び唇を塞がれる。あとはもう、されるがままだ。  誰でも入れるようになっている実験部屋でこんなことをしたら他の騎士に見られかねないとか、そういった懸念は思い浮かびもしなかった。 「好き……騎士団長様……ずっと、好きでした……優しいところも、凛々しい横顔も、全部……」  何度もキスを交わす中で、うっかり想いを赤裸々に告げてしまった気がするけれど、あまり覚えていない。  だってあまりに騎士団長様との触れ合いが心地良かったので。  確かなのは、私が騎士団を出立するという話が立ち消えたこと。  そして騎士団長様との縁談がたった一ヶ月でまとまって、騎士団員たちにたくさん祝福されながら、素敵な結婚式を挙げて結ばれ、騎士団長の妻兼第五皇子妃として幸せになれたということである。
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