01.

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 確か、雲一つない夜空だったはずだ。  一番輝いている星がシリウスで、おおいぬ座の星だと昔妻が教えてくれた。  目を細めると一回り小さくなる満月は今日もあたりを照らしていて、街灯のない川原の土手を歩くには十分な明るさだった。  鼻から吸う空気は故郷ほど澄んではいない。けれども上京して九年にもなるともう慣れて、変わらない日常の空気となっている。  が、その日は違った。  家に近づくにつれて異臭が濃くなっていく。次第に大きくなっていくサイレンの音が僕の感覚のほとんどを奪う。  嫌な予感がした。  混濁とした意識の中で走り、大通りに出ると白い煙が夜空に立ち上っていた。その向こうに色濃い赤色がゆらゆらとしているのが見えて理解する。  火事が起きていた。  多くの人が携帯を掲げ、経緯を見守っている。その奥で消防士が鎮火作業を懸命に行っているのが群衆の間から微かに見える。 「(はな)!」  娘の名前を呼ぶ。周囲を見回し、その姿を懸命に探す。  赤色が目に焼きつき、他の色など背景にしてしまう。嫌な想像までもが赤一色として脳裏をよぎる。  誰かにぶつかったような気がした。誰かの怒号を受けたような気がした。誰かに睨まれているような気がした。それでも華の姿を捜す。 「あ、お父さん!」  華がいた。場に似合わないような満面な笑みなのは僕を見つけたからではないだろう。だってこんな笑顔を見たのはかなり久しぶりだったからだ。直感的にそう思った。  華の隣に誰かいる。手をしっかりと握っていて保護されている。すぐに駆け寄ろうとして足が止まった。 「……え?」  消防車のサイレンで赤く染め上げられている頬。その視線が僕の方に向いて、目が合う。にっこりと微笑みかけてきたその表情を見てさらに驚く。 「お母さん帰ってきた!」  そこには亡くなったはずの妻がいた。
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