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「俺も志岐なら部下をしっかり導いてやれると思っている。妥当な人選だと思ってる」
ここまで評価してくれることに嬉しさを覚える。仕事に対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、それでも今まで頑張ってきたことは間違っていなかったと改めて思えた。
「部署は今まで通り俺のところだから安心してほしい。……前みたいに働いてくれないか?」
だから、正直心が揺れている。華もあの頃より大きくなってしっかりしている。家事も大分慣れて今では習慣になりこなすことは容易だ。時間的に余裕も多少なりともできてきている。
でも。
「ごめん、恩を仇で返してしまってすまないと思ってる」
それでも、僕の答えは決まっていた。
「妻と、朱美と約束したんだ。華を幸せにしようって。……朱美が生きていたとき以上は無理だけどさ。でも僕はそれに近づくよう尽くす責務がある。だから……」
言葉に詰まってしまう。部長に、できないと断ることがどれだけ不義理なのかを頭で考える以上に身に染みついてしまっている。ただ一言を伝えるのがこれほどまでに苦しい。目の奥にある水風船が破裂しそうだった。
「もう一つ。家内が志岐を知り合いに紹介したいって言っててな」
バッと顔を上げて部長と目が合う。部長の表情から自分が今どんな顔をしているのかがわかってまた俯く。
「余計なお世話かもしれない。これを言われて志岐が怒っても悪いのは俺だ」
余計なお世話なんかじゃない。いつもいつもお世話になってばかりで、まだなにも返せていない。どんどん借りが増えていくのに、返済せずにいる自分が情けなくて、申し訳なくて、でも返そうにも返すことができなくて。
「断ってもなにも変わることはない。俺や家内はずっと志岐の味方だ」
押し寄せては引いていかない波があるのならこんなものだろうか。そこに溜まっていくが、それでも押し寄せてくる勢いは変わらない。蓄積していくそれは溢れることなくただただ僕を飲み込んでいく。もがいても外へは出られないくらい厚く大きく膨れ上がったそれに溺れそうになりながら。
「ごめん、考えさせてれ」
ふわついた頭がそう返事をしていた自分を認識した。その陰に潜むように「わかった」と部長がつぶやくのが聞こえたような気がした。
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