雨上がる

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 やっと雨が上がりましたですね。  これで日本全国だいたいのところ梅雨明け、となるのではないでしょうか。  年中無休のニートにして子ども部屋おじさんの私からいたしますれば、雨が降ろうと降らなかろうと、部屋から一歩も出ない身でございますから、いずれにせよノーダメージでございますよ。  しかし、「雨の日と月曜日」とどっかのミュージシャンが歌っておりましたとおり、社会人や学生の皆さまにとって、雨は憂鬱でございましょうね……。  まず、なんといっても雨に濡れる不快さ、というのはこれだけ社会がITだなんだと進歩してきているのに、いっこうに改善されませんですよ。  せいぜいスマホのお天気アプリで、数時間ごとのお天気をチェックして、傘かカッパの用意をすることくらいしかできないのは、まったくもって面倒くさいですね。  私のように一〇四キロの肥満体を有するものからすれば、傘が身体からはみ出てしまい、肩や背中がビチョビチョになってしまいますですよ。カッパで私の体型に合う大型のものがなかなか市販されていないのも問題ですけどね。まあ、カッパ……着るの正直めんどくさいじゃないですかあ?  そもそも雨が上がってよろこぶ人もいれば、農家の人たちのように、雨がなければ作物が育たない人もいるわけで、ちょうどいい案配を求めるのも都合が良すぎる気はしますですよ。  基本的に私たちの飲料水は雨水なので、昔なんかは雨乞いの儀式なんかして、必死で雨が降るのを天にお願いしていたわけでございますからねえ。  文明が発達したといっても、雨の降り方一つに一喜一憂するのは、これまた昔とかわりませんよね。  そういえば「雨降って地固まる」という比喩も雨上がりを喩えた表現でございますね。  雨が降る……つまり一騒動あった後、うまいこと物事が治まるって感じでしょうか。  まあ人と人との争いごとなんて、いつもしょっちゅうあちこちで起こっておりますし、いつどこでも降る雨に喩えるところなんかは、古人の叡智を感じますですよ。  私のようにチビデブハゲ童貞と「負の役満」 とよばれている人間は、たいてい自分で動かないから事態が硬直したまま好転しないのでございますね。  なんでもいいから物事をかきまぜて、傷つきながらでも転がりながら前進してゆけば、やがて雨上がりの青空を見ることができるのです。  わかってますよ。わかってるんですけど、できませんよねー。  ここまで三十有余年、至れり尽くせりのぬるま湯に浸りきった怠惰な身体は、転がって傷つくことに耐えられないくらい皮膚と心が弱っておりますですからね。  「雨が降ろうと、槍が降ろうと」という喩えもありますとおり、私は怠惰を貪ることはやめないでしょうね……。  むしろ「雨があがる」と人々が活動を始めたり、前進してしまいますので、それができない私は惨めでございますですよ。  こんなことならずっと雨が降り続いて、みんな家に引っ込んでる方が同類のような親しみを感じることができて、気が楽でございましたですねえ。  で、梅雨が明けると、夏の到来と相成りますですよ。  夏は恋人たちの季節……学生たちは夏休みで青春でございますですねえ。  うわああぁぁーっ!  私の中の脳内警戒アラートが、急作動いたしましたでございますですよ。  いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだあぁーっ!  また夏が来てしまいますですよ……。  あのきらびやかな活動的な季節。私に縁のない太陽の輝き。  例年のようにモグラみたいに、カーテンを閉め切ってエアコンをガンガン効かせて現実逃避……気が重くってしょうがないですね。  でも喉元過ぎれば熱さ忘れる、といいますし、例年梅雨明けと夏の入り口にはこうやってジタバタしてるような気がいたしますですね。  西行法師のように、ありのまま四季を受け入れて楽しむ強靱なメンタルがほしい……。  そう、私は私。  雨上がりの空の下、決然と深夜アニメを鑑賞するためのお供である、ファミリーサイズのポテチとアイスクリーム十種を購入しに、スーパーに出かけることにいたしましょう!  最後に勝利の地平に立つのは、この私。なぜなら、この国のエコノミックアニマルたちの……(略)                   終
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