6 カクテル「ゾンビ」

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6 カクテル「ゾンビ」

「マスター、ごちそうさま」  グラスに残ったブラックブッシュを飲み干して、二人はズゾッと立ち上がる。 「マスターの旨い酒だけが、今の俺たちの楽しみだったんだ」  黒服蝶ネクタイのマスターは静かに頭を下げた。  そして、二人の前にカクテルのロンググラスを置く。 「私はマスター。全てのお客様に対し、中立であらねばなりません。が、しかし。私は、お二人がとりわけ好きでしたよ。今度は違う形でお会いしたいものですな。これは私からの(はなむけ)です」  二人の前に置かれたのは、赤いカクテルだった。 「ゾンビ、か」   かつて刑事だった男が言った。 「何を分かってることを言っているんだ……。そうさ、オレたちはゾンビだ」 「違う違う。マスターの餞カクテルの名前さ」 「そんなカクテルがあるのか?」 「あぁ。古い洋画で女優が飲んでてさ。嫁さんがその映画が好きだったんだよ」  マスターは笑顔で頷いた。 「ベースはラム。あぁ、いい香りだな」 「不思議なもんだな。ゾンビになってから酔ったことがないのに、この香りだけで酔えそうだ」  二人は立ったまま、グラスを合わせた。  ゴクリ、と一口。  フルーティな甘い香り。  ゾンビと言うには、可哀想な香りと味だ。 「なんでゾンビ、なんて名前なんだろうな。こんな華やかなカクテルがさ」 「ゾンビも生き返るほど元気になる酒だから、って意味らしいぞ」 「確かに。生きてるって感覚が戻ってきたよ。皮肉なもんだな。ゾンビをやめようと決意した日にさ」 「そんな日だからだ」  二人はそう言って、カクテルを飲み干した。  雨音は次第に小さくなっている。  そろそろ夜が明けるだろう。  良い頃合いだ。  二人のゾンビはマスターに頭を下げた。 「美味かったよ、マスター」  マスターは穏やかな笑顔を浮かべて、二人を送り出した。  ズゾ、ズゾ、と二人が店から出ていき、マスターは二人のグラスを片付けた。  雨音も小さくなって、店にはまた、静寂が訪れた。  
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