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6  アリッサはユリスの寝室に入るのを不適切だから躊躇したが、生き写しだという人の肖像画を見てみたくて好奇心には勝てなかった。彼の部屋に入ると全ての蝋燭に灯りが焚かれた。昼のように明るくて、自分の見苦しい寝衣姿が恥ずかしくなった。化粧をしていない顔を見られるのも抵抗があるのに、扇子一つ持ってこなかった。 「どうした? アリッサ?」 「いえ……化粧もしていないから……」  ユリスはまじまじとアリッサを見る。前髪を右手で掻き上げ、恥ずかしがるアリッサに言った。 「いつもよりずっといい。アリッサに化粧は必要ないよ」 「そんなわけない」  姉に似せた化粧は大事なアリッサの仮面だった。おてんばで有名な彼女も姉と似た眉とアイラインさえ描けば、少しはおしとやかに見えるから。しかし、ユリスはありのままでいいと言う。不思議な人だとアリッサは思った。それと、もう一つ、アリッサが恥ずかしいと思う理由がある。当然、男の部屋で、寝衣でいることだ。 「着替えてくればよかった」 「侍女を起こさなければならなかっただろう?」 「ええ――でも殿方の部屋には入るのはよくないから……」 「悪い、アリッサ。でも今は君の力が必要なんだ。俺は紳士だ。なにもしない。だから協力してくれないか?」  確かにその通りだ。 「ユリス、お父さまに聞くのが一番手っ取り早いのではない?」 「君の父上のことをこんな風に言うのは気が引けるが、この宮廷一のくせもので古狸があだ名だ。そんなアルバン伯に正面から当たってもなにも話してはくれないよ」  そうかもしれない。父は厳格で怖いもの知らずのアリッサでさえ、萎縮してしまうものをもっている。証拠がなければ、事実でも知らぬふりをするに決まっている。 「証拠がそろったら聞いてみよう」 「そうね。それがいいかも」 「侍女のマリアが言うのが本当なら、この部屋のどこかに隠し部屋がある。探してみよう」 「ええ」  アリッサもそれを手伝うためランプを手にした。カルデン卿を含めた三人は、ランプを片手に時に壁を叩いてみたり、押してみたり、割れ目がないかを探してみたりするが、簡単に見つかるようでは隠し部屋ではない。 「あったか?」 「いいえ」 「ありません」  それぞれは四方の壁を調べて行くがどんなに蝋燭が明るいからと言って、深夜に秘密の扉を探すのは困難だ。隠し部屋の入り口の定番である書棚も暖炉も入念に見たが、不審なところは一つもなかった。カルデン卿があきらめ顔で言った。 「昼間、探した方がよいようですね」 「そうだな……明日の朝にするか……」  しかし、その時、アリッサは自分の手にしている蝋燭の灯が僅かに揺れたのを感じた。よくよく見ると、床の方から風が吹いているのか、炎が動くではないか。しゃがみ込んだアリッサは、 「ちっと来て」 と、ユリスとカルデン卿に手招きをした。三人は部屋の隅から集まって、コンソールテーブルの下にいるアリッサを囲った。 「見て、風がここから漏れている」 「本当だ」  カルデン卿が壁を叩いた。しかし、空洞があるような音はしなかった。しかし、アリッサは腰壁の方を叩いた。すると腰壁は高い音がして、そこだけがなにか違うことに気づく。アリッサは立ち上がって、花を飾ってある花瓶をどけると、男たちがコンソールテーブルを脇に動かした。そしてカルデン卿が腰壁をもう一度叩いた。軽い音がする。しかし、びくともしない。 「だめね……」 「なにか空間があるのは間違いなさそうだが……工具を運ばせようか」  ユリスが立ち上がる。 「そうね。それがいいかも……」  疲れたアリッサがため息をついて、腰壁に凭れる。すると、どうだ。からくりとなっていてカチリと音がしたかと思うと、戸が開いた。戸といても這いずって入らないといけないほどの狭い穴だが、男一人入るには十分な大きさだ。 「でかした、アリッサ」 「私は寄りかかっただけ」 「引いても駄目なら押してみろだったんだな」  カルデン卿が上着を脱ぎ始めた。 「中に入ってみます」 「ああ」  先ずはカルデン卿がランプを片手に中に入った。そしてすぐに声がする。 「安全です。お入りください」  二人は顔を見合わせから頷き、小さな入り口へと這いずって入った。そして――。 「わぁ!」  アリッサは思わず声を上げた。  なにしろ、そこはかなり広い空間だったからだ。五人は十分くつろげるほどの広さで、本棚、テーブル、椅子があり、燭台もあった。むろん、埃だらけの蜘蛛の巣だらけ。アリッサは大きく咳き込み、ユリスに背を撫でてもらった。  ユリスが燭台の蝋燭に火を移すと、まだちゃんと炎を点した。  そして見回せば、テーブルの上にあるのは、宝石箱か。日記の類いや手紙はないかと探したが、見つからなかった。しかし、見上げるほど大きい絵が奥の壁にあった。埃を手で払えば、金縁の額に二人の男女が描かれている。 「これは――」  絵の中の二人は手を繋ぎ、笑顔だった。二人の首には例のペンダントがあり、特別な関係であるのは明らかだ。そしてその顔は――男はエデム叔父上で、女は確かにアリッサにそっくりな人だ。特に目の色が同じで、屈託のない微笑みはアリッサ自身で見ても似ていることを認めざるを得ない。 「アリッサ……」  ユリスが唖然として口を開けたまま、アリッサの名を口にした。 「ユリス」  繋いでいた手は放すべきか、そのままでいいのか――アリッサは悩んだが、ユリスはしっかりと握り直した。しかし、アリッサは絵に描かれた文字を見てしまう。 『愛するセシリアーヌとともに』  やはり二人は恋人だったのだ。アリッサは初めての恋が打ち壊された気持ちになって泣きたかったが、カルデン卿もここにいる。ぐっと堪え、早く自分の部屋のベッドに戻りたいと思う。そこならいくらでも泣いてかまわないのだから。しかし、そのカルデン卿が言った。 「早計な結論を出さぬほうがよろしいかと」 「どういうことだ」 「お忘れですか、お二人は結婚しなかったということを」  確かにその通りだった。先帝と王女は結婚しなかった――おそらくマリアの言葉を鵜呑みにするのなら、結婚できなかったのだ。マリアが先々帝の側近に二人のことを話してしまったから。またこんな風に王女との思い出の絵を隠さなければならなかったのは、二人の恋は実らなかったからかもしれない。 「なら、一体、なにがあったのか――」  真実を知っていると思われるのは――バルコール侯だ。ただし、まだ生きているのならばの話だった。マリアが王女のことを漏らし、バルコール侯はそのことが真実であるか、調べたはずだ。先々帝、つまりユリスの祖父に報告するために――。ならば、その後のユリスの父と王女のことが分かる。 「地下牢に行ってみよう」 「やめた方がよろしいかと」 「なぜだ? カルデン?」 「衛生面で危険です。それに――バルコール侯が正気だとはとても思えません。もう十数年以上、地下牢に閉じ込められているのですよ」 「贈賄容疑はそれほど罪が重いのか」 「そんなはずはありません……長くて五年でしょう。しかしバルコール侯は忘れ去られてしまった……誰からも」 「見捨てられたのだな。贈賄は複雑だ。罪を一人になすりつけて貴族たちは逃げた」 「あるいは、先帝陛下がお許しにはならなかったか」 「行ってみよう」  ユリスはそう言うと、アリッサの手を取った。アリッサも手を握り返した。自分たちの恋もそうだが、先王と王女の恋の謎はどこかミステリアスでいて、誰かに明らかにしてもらいたがっているようにも感じる。いや、明らかにしなければならないものだ。先帝はすでに亡くなっているが、彼の真実の愛がどこにあったのか――知る必要があった。 「行きましょう、ユリス」 「ああ」  アリッサはドアへと向かった。
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