第三章 宴の間 1

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第三章 宴の間 1

第三章 宴の間  十一月午後、よく晴れた日。ジュエルが政務をこなしていると、ドアを叩く音がする。通されたのは皇帝付きの老侍従だった。ジュエルはため息がでそうになる。 「皇帝陛下がお召しでございます」  白い手袋をつけた侍従はそう言ったが、ジュエルは 「頭痛がする。また次の機会に」と迷わず断った。 「これで何度目ですか」  横に立っていた、サー・ロイドが心配そうに訊ねる。 「さあ、五回目くらいだろうか」  ジュエルは鏡を覗き込んで髪を直していたが、兄の元に行くつもりはなかった。要件はわかっている。 『アリッサを譲ってくれ』だろう。  兄はアリッサを気に入っている。皇帝からの頼みをジュエルは断れる立場にはなかった。妃なら「なんということをおっしゃるのか!」と憤慨して見せられるが、ルシアナとはまだ正式な婚礼の儀式をしていないし、その妹にいたっては、『行儀見習い』が表向きだ。 「アリッサは譲れない」 「なぜです? 特段、お気に入りというわけではございませんのに」 「ルシアナには病気になってもらうことにした」 「…………」  サー・ロイドはジュエルが奥の手を使うことを決意したことに少し驚いたのか、身じろぎをした。 「ではアリッサ嬢を妃になさるおつもりですか?」 「ルシアナの振る舞いは度を超している。アルバン伯もよくわかっているはずだ。ルシアナは病のため結婚は取りやめとするが、二人とも帰すわけにはいかない。アルバン伯の後見は僕が皇帝になるためには必要不可欠なものだ。アリッサはそもそも補欠だ。その役割を果たしてもらう」 「御意」 「だから、アリッサを兄上に譲ることはできない。後ろ盾のアルバン伯ごともって行かれてしまうのだからな」 「確かに」  サー・ロイドはしかし、どこか不安気だ。皇帝に逆らって大丈夫かということだろう。しかし、もうジュエルには心が決まっていた。 「もうすぐパーティーがある」 「はい……恒例の豊穣を祝う日に行われるものですね? たしか来週だったはず」  ぱらぱらと手帳を確認しながら、サー・ロイドは言った。ジュエルは決意に満ちた声を出す。 「そのパーティーで実行しようと思う」  サー・ロイドは目を丸め、不敬にもジュエルの目をまっすぐに見た。なにを実行しようとジュエルが宣言したのかわかったのだ。忠実な側近は、すぐにお辞儀をした。 「ついに、ご決断いただけたのですね」 「ああ。兄上を排除しよう」  皇太弟派にしては悲願の日だ。皇帝はまだ二十代。兄よりも長生きしないかぎり、ジュエルは皇帝の座につけない。また兄に子ができれば、皇太弟の座すら危うい。  ――そうだ。僕は間違っていない。  まだ真昼だが、ウイスキーをクリスタルのグラスに入れると、ジュエルは立ったままそれを飲み、庭の方を見た。ヴィクトリアが気を引こうとしているのか、赤いパラソルを広げて小道で腰を振って歩いている。見苦しいという他なかった。クレアーヌは二言目には「お父さまに言いつける」だし、ルシアナのことはもうなにも言うまい。この中ではアリッサが一番、まともだと言えた。おてんばで有名な、あのアルバン伯の娘が。 「他の妃候補は決まったか」 「はい。公爵が一人、侯爵が二人、伯爵が一人、子爵が一人です」 「身分はどうでもいい。力のある者が父親なのが好ましい」 「ごもっともでございます。パーティーの日までに結納の品を贈ります」 「そうしてくれ」 「ただ――」  言いにくそうにサー・ロイドは切り出した。手帳は広げたままだ。 「来週ではいささか準備が整うのが難しいかと」 「もう何年も計画していたのに、来週が無理とはどういうことか」  サー・ロイドは汗を掻き、イニシャルが刺繍された白いハンカチで額を拭った。 「ごもっともでございます。刺客となりうる兵士はすでに用意してありますので、パーティーに潜り込めるように手配いたします」 「うむ」  ジュエルは酒で喉を潤した。昨今、酒がなければ夜も眠れない。派閥の貴族からの期待も大きいし、後宮は荒れている。兄との不仲は顕著になりつつあり、噂は宮廷に広がっていた。相手にするのはアルバン伯のような古狸ばかり。政策も思うように通らないことが多く、焦りばかりが彼の肩に乗っていた。  ――それも兄上を退位させたら、消えるはず。 「パーティーでは自分で兄を刺すくらいの覚悟で挑むつもりだ」 「勇敢なご決意かと存じます」 「アリッサを兄上にパーティーのエスコート役に貸すのは面白いかもしれないな」 「なぜですか」  ジュエルはくすりと笑う。企む時の彼の顔が、歪んで鏡に映った。 「兄上にはこれといったエスコート役がいない。アリッサを渡せば、向こうは僕のことを恭順だと思い込むだろう。それは油断を生む」 「なるほど」 「兄上にはせいぜい、楽しいパーティーを過ごしてもらいたいね」 「すぐに準備に取りかかります」 「そうせよ。時は金なりだ」  サー・ロイドは一礼すると、部屋を足早に出ていった。残ったジュエルは酒をつぎ足す。パーティーまであと七日。待ちきれないほど、ジュエルの心は高揚し、兄を殺した後に待つ、戴冠式のマントと王冠を想像した。そしてそこには生母がおり、絶対的な権力を得ることになる。  ――輝かしい栄光は我が手に集まることだろう……。  強い酒はいい。  気分をよくしてくれるから。だが、サー・ロイドに控えるように言われている。支援者の前では嗜む程度にしなければならない。 「誰か」 「はい、殿下」  侍従が隣の部屋から現れた。 「アリッサに皇帝陛下がパーティーのエスコート役になるから、ダンスをしっかり学んでおくようにと伝えるように」 「かしこまりました」  侍従は消え、ジュエルは安心した。そしてもう一度、鏡を確認し、自分の髪が乱れていなか、クラバットは流行の形にちゃんとなっているかを確認した。
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