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2  ユリスは、アリッサをエスコートして欲しいと頼まれた段階でジュエルに怪しんだ。  ――なにを考えているんだ。  ジュエルの最近の思考は読めない。  ユリスに会うのを拒んでいたのは、アリッサが原因かと思っていたのに、ふいに彼女を差し出してきたりする。 「和解をしたいと思っているのだろうか」  ジェードのカフボタンをしながら、ユリスはカルデン卿に訊ねる。彼も首を傾げた。 「なにかを考えているのは間違いありませんが、和解ではないでしょう。他にも妃を後宮にいれると噂です。アルバン伯一強ではないことを皆に知らしめるためでは?」 「そうかもしれない」  頷いたが、納得はいかなかった。ジュエルとは二十年以上という間柄だ。ユリスの母はジュエルの母に毒殺された。『悪魔のような女』だと父がジュエルの母を評したことを今もユリスは忘れていないし、その血を継ぐジュエルが残忍でないとは言いがたかった。兄であるから、それはよくわかる。ただ、表だっては対立しないように心がけてきた。たとえ、ユリスの妃が不審死しても、証拠がそろわなければ、下手にジュエルとその一派を尋問などできなかった。どうせ、証拠などないに決まっているのだから。 「アリッサがジュエルになにかされなければいいが――」 「アリッサ嬢は皇太弟殿下の手駒です。アルバン伯を味方につけるには必要な人物のはず」 「それを一日とはいえ、俺に貸すとはどういう了見なのだろう……」 「皇太弟殿下の今日のお相手はルシアナさまでしょうか――」 「側室を連れて来るかもしれない。ルシアナの昨今の悪評はジュエルを苛立たせているだろうからな」  蓋を開けてみなければなにもわからなかった。ただ、言えることは一つ。 「厳重に警備をするように」 「御意」  ――しかけてくるかもな。  聞いたところによると、軟禁されているジュエルの母は体を悪くしているらしい。それを弟が知っているかは知らないが、そろそろ本格的にユリスの命を狙ってきてもおかしくないと感じている。刺客数人では成功率が低すぎる。  ――どうしたら……。  しかし、ユリスは弟を積極的に排除したいとは思っていなかった。少なくとも血の繋がった兄弟であり、いつかはわかり合える日がくるのではと楽天的に考えていなかったといえば嘘になる。だが、アリッサが危険にさらされるなら――。  ――黙ってはいない。  ユリスは部屋を出た。ジャケットにサッシュを斜めにかけ、勲章を胸に飾る。偉風堂々に常より装ったのはアリッサによく見られたいからだ。きっと彼女も正装してくるだろう。二人ならんだら、パーティーはさぞや華やぐだろう。 「自ら、アリッサ嬢をお迎えに」 「同然だ」  侍従は仕来りがどうのと言っていたが、ユリスは聞かずにそのまま廊下に出た。皇帝とはいえ、エスコートの相手を部屋に迎えに行くのは当然だ。  ユリスは皇太弟であるジュエルの後宮に入るのはこれが初めてだったが、その入り口である美しい花の組みタイルがあるホールに鮮やかなコバルト色のドレスを着たアリッサが姉とともに待っていてくれた。 「待たせてしまったか?」 「いいえ」  ダイヤモンドの髪飾りをし、胸には一つ、あのペンダント。Aラインのドレスはふわりとし、長い指先が皇帝の前に差し出された。 「ご機嫌麗しゅう、皇帝陛下」 「アリッサ嬢も」   二人はまるで今日初めて会ったかのような顔をした。侍女たちが二十人ばかり、皇帝を迎えにホールに出ていたからだ。ユリスは彼女の手にキスをして、その手を自分の腕に置いた。正直、ユリスは夢心地だった。アリッサとこんな風にいつもいられたのなら――こっそり会うのではなく、皆から羨望の眼差しを向けられたら、どんなにいいことか――。ユリスは赤いアリッサの唇に心を奪われた。  そして二人は広く長い廊下を衣擦れの音を立てて歩き、ユリスはアリッサの近況を聞きたい思いを抑え込んで無表情を心がけた。人前に出る時はいつもそうだ。仮面をつけ、冷酷な皇帝に見られるようにしていた。そして、ドアの前でしばし立った時だけ、二人は視線を合わせて小さく微笑み合った。 「皇帝陛下のおなぁりぃ」  ドアが開かれ、大広間に足を踏み入れると、シャンデリアがまばゆいばかりに輝いていた。赤い絨毯に着飾った貴族の男も女も、色とりどりの絹やベルベット服に身を包んでいる。大仰なお辞儀でユリスは迎えられ、一段高いところに玉座がある。隣にいるアリッサは少し緊張している様子だった。 「ダンスの練習はしてきたか」 「ダンスはもともと得意なの」  ――そうだった。アリッサは運動が得意だった。  ちょっとしたそんな会話がアリッサの緊張をほぐしたのか、肩の力が抜ける。見回せば皆の視線はアリッサに釘つけだ。今日の主役は彼女で決まりだ。ユリスはそんな女性をエスコートしていることに強い優越感を抱いた。 「兄上」 「うむ」 「ご機嫌麗しく」  一方、ジュエルがエスコートしているのは、見たこともない令嬢だった。名乗ったところによると、某公爵の一人娘らしく、煌びやかな桃色のドレスを着ていたが、どこから見ても美しくはなかった。  鼻と目が小さく、口が大きい。どこかコミカルで風刺がに出て来そうな人だ。常ならば壁の花だが、今日は羨望の目で見られていた。父が公爵ならば、皇太弟こそふさわしいと。ジュエルなら立派にエスコートするだろう。笑みは貼り付けたような偽物のものではあったけれど。 「お姉さま……」  アリッサがなにかに気づいて壁の方を見た。  ルシアナだ。悪魔が似合いそうな紫のレースのドレスを着ており、つんと顎を上げて扇子をぱたぱたとさせている。その横に、ジュエルの二人の側室がおり、恨めしそうに公爵令嬢を見ていた。 「君の姉はなにを考えている?」 「お姉さまは、後宮を追い出されようと必死なの」  ユリスは笑った。噴き出さないように手を口に当てて。 「なに? 笑わないで。こっちは真剣なのよ」 「まったく君たち姉妹は興味深い。それでルシアナはあんな悪女を演じているというわけか」 「笑わないでっ」  それでもたまりかねて笑ってしまうと、「冷酷な」皇帝の珍しい姿に皆の注目が集まった。特にジュエルはこちらを見てユリスに微笑みかけて来たが、目は全く笑ってはいなかった。  なにしろ、ジュエルは実利主義だが、美しいものと優越感をなによりも愛していた。アリッサとユリスが楽しそうにしているのを心の中では憎々しく思っているのだろう。ユリスはよけいにアリッサと笑顔になってしまいたくなる。 「ダンスを踊る?」  耳元で囁くと、アリッサの耳が赤くなった。彼女は耳を手で押さえて隠すと、愛嬌のある目でユリスを一睨みした。 「息を吹きかけないで」 「気のせいだよ」 「ほら、また」  ユリスはアリッサの手を引くと、ワルツに踊る人々の輪に入った。ざわめきが上がったのは、皇帝が一度も誰かと踊ったことがないからだろうし、相手がジュエルに関わる人だからかもしれない。とにかく、噂好きの貴婦人たちは扇子の中でひそひそと話し出し、若者たちは我先にとワルツに加わった。 「ダンスなどというものはつまらないものとばかり思っていたよ」 「そんなことない。手を繋げるじゃない」 「それはそうだね。でも、他の誰とも踊らないで欲しい」 「なぜ?」 「アリッサが、他の男の手を握ることを考えただけで胸が苦しくなる」 「大げさな人」  アリッサは呆れかえった風な物言いだったが、本心は違うらしい。コバルト色のドレスを翻してターンをするときに少し唇の端を上げ、瞳を下げて嬉しそうにした。ユリスはこの時間が永遠に続いて欲しいと思った。同じ人と何曲も踊ってはならない決まりだが、ユリスはアリッサ以外の人に申し込む気はさらさらなく、一曲が終わると、彼女を玉座へと誘った。 「少し休もうか。なにか飲みたいものはあるか」 「ええ。汗を掻いてしまったわ。シャンパンが飲みたい」  ユリスは侍従からシャンパングラスを受け取ると、彼女に手渡す。宝石のようにまばゆい飲み物はシャンデリアの明かりによってさらに燦めいた。 「楽しかったか? アリッサ」 「ええ。ユリスがあんなにダンスが上手いとは思わなかった」 「子どもの頃にたたき込まれたからな」  二人の会話はつきなかったが、こちらにジュエルがやってきた。パートナーの公爵令嬢は他の男と踊っていて一人だ。 「皇帝陛下に拝謁いたします」 「ああ」 「お楽しみのところ失礼いたします」 「どうした? お前は楽しんでいるように見えないが」  小さな嫌みを言うと、ジュエルはにやりとした。 「いえ、今から楽しむことにしているので、ご心配はありません、兄上」  そう言ったかと思うと、誰かが投げた剣をジュエルに投げた。彼は宙でそれを軽やかに受け取り、さっと鞘を抜いた。ユリスはすぐにアリッサを突き飛ばした。攻撃の先は自分だとわかってはいたが、彼女に万一のことがあってはならなかったからだ。しかし、それが命取りとなる。ジュエルの剣の切っ先がユリスの首で止まったのだ。 「ユリス!」  アリッサが叫んだ。だが、貴族の大半は冷静にそれを見守っていた。すでに根回しされていたことなのだ。 「ユリス!」 「連れていけ!」  ジュエルが衛兵に命じた。彼等はユリスの両腕を掴むと抵抗するのも気にとめずに引きずっていく。立ち上がったアリッサが、ジュエルに食ってかかった。彼女はジュエルのジャケットの襟を掴んで揺すぶったが、それは簡単に払いのけられ、汚いものに触られたかのようにジュエルはハンカチでそれを拭く。 「ユリスをどうするの? 皇帝陛下をどうするの⁈ ねぇ、なんとか言いなさいよ!」  彼女を見たジュエルの冷たい目。彼は二人の親密な関係に気づいていたのだと、ここで初めてユリスは気がついた。 「この女も連れて行け」  ジュエルがアリッサも衛兵たちに引き渡す。アリッサは叫んだ。 「恥を知りなさい!」  けれど、ジュエルはうすら笑っただけだった。
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