1/1

209人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ

3  アリッサとユリスが閉じ込められたのは物置だった。窓もなく明かりがない。背後には堆く使われなくなった家具が山積みされ、埃だらけの場所だった。 「出しなさいよ! ここから出しなさい!」  しばらく、アリッサはドアを叩いて抗議していたが、しんと静まり返って誰も現れなかった。今頃、皇太弟が玉座に座って悦に浸っているだろうと思うと腹が立った。 「アリッサ、無駄だ。誰もこない。少なくとも俺の処遇をどうするか、貴族たちが決めるまでは」  アリッサはユリスを振り返った。夜目に慣れてくると、ユリスが椅子を二つ見つけてきて、アリッサに勧めてくれた。 「大丈夫か、アリッサ?」 「わたしは大丈夫。ユリスに怪我はない?」 「ないよ。それにすぐに助けがくる。少なくとも君はアルバン伯の娘だ。ジュエルの派閥に属する者の娘を軟禁などしない」 「どうかしら、あの皇太弟殿下の目。とても冷たかった――」  アリッサは皇太弟の目を思い出して身震いした。彼は人を切り捨てる冷酷さを持ち合わせているのは確かだ。あの目は人を殺したことがある――少なくとも命じたことはあるのは、アリッサにさえ察せられた。 「怖いか」 「少し」  寒さもあった。ドレスは胸が開いており、軽装だ。ユリスがすぐにジャケットを脱いでアリッサに掛けてくれたがそれでも震えは止まらなかった。アリッサは思わず、ユリスに手を伸ばしてその背に回した。 「アリッサ?」 「しばらくこうさせて」 「ジュエルを呼ぶ。君は関係ない」 「関係あるわ。そうでしょう? 嘘をつかないで、ユリス」 「…………」  彼は黙った。そしてだた、アリッサを抱きしめてくれた。 「大好きよ、ユリス」 「すまない、こんなことに君を巻き込んでしまった」 「あなたといるのなら平気」  ユリスがこちらを見た。青い瞳はまるで真昼の空のようにそこだけが見えたのは、ドアの隙間から漏れる灯りのせいだろうが、それが燦めくのはアリッサに与えられた勇気の欠片に違いなかった。 「愛している、アリッサ。こんな時に言うべきではないのはわかっている。でももしかしたら言えるのはこれが最後かもしれない。だから、もう一度言うよ。愛している。君を誰よりも」  アリッサは怖かったという気持ちがその言葉で急に消えたのを感じた。どんな困難もユリスとなら乗り越えられる。そう――生死さえも。 「わたしも心からあなたを愛している。このペンダントにかけてあなたを永遠に愛すると誓うわ」  アリッサはペンダントを握り締めた。そして生母だと思われるマカルニアの王女のことを思った。彼女は愛する人と引き裂かれ、別の人の子をもうけた。それに後悔はなかったのだろうか。運命はどうして二人に残酷だったのだろうか。 「父上は亡くなる時に『運命は奪い取るものだ』とおっしゃった」 「そうかもしれない。ただ受け入れるものではない」 「でも、世の中にはどうしようもないこともままある」  アリッサはユリスの手を握り、きつく絡めた。 「きっと、アルバン伯が君を助けにきてくれる。だから、諦めずに待つんだ」 「あなたは?」 「俺は――」  毒殺? 磔? 理由付けは簡単に後から作り上げられる。アリッサは彼の片頬を指で触れた。 「ユリス。少なくともわたしたちにはどうしようもない時に選択肢がある」  彼は首を傾げた。当然だ。弟が謀叛を起こし、幽閉されている状況なのだから。 「わたしたちは、離れることもできるし、このまま一緒にいることもできる」 「それはわからない」 「いいえ、わかる。わたしはあなたといることを選ぶ」 「アリッサ……そんな必要は――」 「あるわ!」  アリッサはもう一度、ユリスをきつく抱きしめた。 「愛している。愛している。だから、手を放さないで。今一番、怖いのはあなたに手を放されること。約束して、決して手を放さないって。諦めないで」 「アリッサ……」 「約束して? ね?」  ユリスはアリッサの頭を自分の胸に押しつけた。もしかしたら、泣きそうなのを堪えているのかもしれない。 「約束する。どんな時も君の手を放さない。君以上に美しく勇敢で愛を知っている人を俺は知らない」 「あなたが教えてくれたんでしょう?」  ユリスにあのガゼボで出会ったのは、きっと定めだったのだ。青い空に蒼い芝、風は優しく引っくり返りそうだったところを受け止めてもらった。あの瞬間にきっとアリッサは恋に落ちた。大きく見開いたユリスの瞳に自分の顔が写った瞬間に――。  ユリスが前髪をかき分け、一度だけ洟をすすると、彼はアリッサの両頬を大きな手で包み込み、口付けをした。長い接吻だ。一秒たりとて無駄にできないという決意が込められていた。愛より強いものがあろうか。愛より強い絆があろうか――。アリッサはユリスと口付けすると後宮に来てから忘れかけていたものを思い出した。  ――仕来りと言う枷(かせ)の奴隷にはならないわ。  この宮殿に来てからというもの、アリッサは百パーセントの彼女ではなかった。後宮の慣習を含めた宮殿の決まりにがんじがらめになっていたからだ。 「わたし――」  アリッサはユリスの前に立った。 「淑女を辞めるわ」  ユリスの笑みが漏れた灯りに照らされた。 「君は君だ。悪女でもなんでもやるがいい」 「では恐れ入りますが、皇帝陛下。今、お座りのその椅子をお貸しいただけますか」 「なんなりと」  よくわからない様子のまま、ユリスは立ち上がり、アリッサに椅子を譲った。アリッサはそれを持ち上げる。ユリスはあっと言いかけたようだが、アリッサは気にせずに自分の頭上に掲げて、勢いよく椅子をドアに叩き付けた。そう、勢いよく強く! 「アリッサ!」  ユリスは怪我をしてはと思ったのだろう。止めたけれど、アリッサは何度も何度も打ち付ける。すると足音が外から聞こえた。兵士たちが集まってきたのだろうか。敵か味方かわからない。それでもアリッサは汗だくになってイブニングドレスのままドアに椅子をぶつけた。 「アリッサ」 「ユリス、これがあなたのお父さまが言った『運命は奪い取るものだ』よ。待っていては駄目ってことよ!」  それを聞いたユリスは頷いた。そしてアリッサが座っていた椅子を持ち上げると、同じように椅子をドアに叩き付ける。男の力と女の力。そこは大きく違い、やがてドアは打ち破られ出した。ユリスは折れかかった椅子の脚を握ると言った。 「逃げるぞ、アリッサ」 「そうこなくっちゃ!」  二人で最後はドアを蹴り破り、部屋の外に出た。衛兵が五人ほどいて剣を構えたが、ユリスは椅子の脚を剣にして、腹や頭を狙って打ち付け、あっと言う間に倒してしまった。アリッサはすぐに剣を拾うと一振りをユリスにもう一振りを自分が手にした。 「貴族の全員が皇太子派ではない。半分は俺の勢力だ。心配はいらない。イーザランが必ず軍を引き連れて来る」 「そうね!」  しかし、それより早く数十人の足音がした。革靴の音だ。衛兵のものに違いなかった。 「兄上。手こずらせないでいただきたい」  兵士たちが剣を突き出した輪の中から皇太弟ジュエルが現れた。右手には剣。左手には深緑色のガラスの小瓶。コルクを抜くと、それをサー・ロイドに渡す。 「叶わぬ恋に心中した皇帝。そう歴史には名が刻まれることになるでしょう、兄上。自殺は罪だ。歴代王の墓にも入れず、遺体はうち捨てられる運命にある」  ユリスは押さえつけられ、小瓶を口に向けられるが頑なに口を開こうとしなった。ついに四人がかりで口をこじ開けられそうになった。 「ユリス!」  しかし、危機はアリッサにも訪れていた。 「さあ、これを飲め、アリッサ」 「飲まない」 「兄上、アリッサを助けたければ、毒を飲んでください」  ――やっぱり毒だったのね。 「ユリス。絶対に飲まないで。約束したでしょう? どんな時もあきらめないって!」  皇太弟がアリッサを平手打ちして、彼女は転がった。一瞬、ユリスの集中が途切れ、彼女の方に目が向いた。その隙に口をこじ開けようとする兵士たち。  ――あ、ああ……。  アリッサは声を上げそうになったが、言葉は出なかった。ユリスの口の中に毒が――。 「ドン」という音がしたのは、その時だった。はっと目を上げれば、老将、イーザランではないか。片手にはマスケット銃を持ち、生え抜きの兵士たちを従えて百人ほどで現れた。マスケット銃は次々に撃たれて、皇太弟、ジュエルが連れていた衛兵たちは倒れていく。しかし、その隙にジュエルはさっと身を翻して廊下の向こうに消えた。 「アリッサ!」  そこに現れたのは姉のルシアナだ。ドレスはパーティーの時のままだが、髪と化粧は乱ていた。いつも手放さない扇子はどこだろう。アリッサは叫んだ。 「お姉さま! どうしてここに⁈」 「あなたを見捨てて逃げれるとも?」 「いいえ。お姉さまなら助けてくれると思っていた」 「混乱の中、私の部屋にイーザラン将軍を匿ったの。それでイーザラン将軍が部下の兵を呼び集めて陛下の奪回を試みたのよ」 「お姉さまって最高!」  アリッサは抱きつき、姉と喜ぶ。そこにユリスも立ち上がってイーザラン将軍に手を差し伸べ握手した。イーザラン将軍もかつらをどこかに落としたのか、被っておらず、上着も邪魔だったのだろう、シャツの姿でクラバットさえなく、白い胸毛が露わになっていた。 「助かった、イーザラン」 「間に合ってなによりです、陛下」 「しかし、なぜ、銃が宮殿に?」 「先帝陛下が備えたものです。皇帝には、いつ何時、なにがあるかわからないからと。少々手入れがいきとどいておりませんのでどこに当たるかわからずヒヤヒヤしましたが」 「父上はよく先を見通している」  アリッサもユリスの横に立つ。彼がその背を撫でてくれた。ほっとするが、まだ終わってはいない。 「さて、どういたしますかな、陛下」 「戦うほかない」 「…………」 「ジュエルを倒すしか、俺に残された道はない」 「よくぞおっしゃりました」  ユリスはアリッサの手を取ると、顎を上げて毅然と言った。 「ジュエルを捕らえろ。決して逃してはならぬ!」 「はっ!」  兵士たちが一斉に王命を拝受した。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

209人が本棚に入れています
本棚に追加