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4  馬が嘶いた。  皇太弟はちゃんと失敗した時の退路も用意していた。サー・ロイドも鐙に足を載せて手綱を取る。アリッサは皆が止めるのも聞かずに宮殿の建物から出て、繋がれていた馬が放たれるのを見た。兵士たちによって何発もマスケット銃は撃たれるが、もともと命中率が低い銃な上に、イーザラン将軍が言っていた通り、手入れが行き届いていないため、なかなか命中しない。 「貸せ」  ユリスがもどかしかったのだろう。兵士から銃を奪うと、構えた。一発放つ。すると、どうだ。その一発がサー・ロイドの背中に当たって彼は落馬した。  もう一度、ユリスは銃を構える。飛距離ギリギリのところをもう皇太弟は行っていた。しかし、ユリスは銃口を向ける。「バン」という乾いた音とともに、弾は放たれた。遠目には当たったのか、そうでないのかはアリッサにはわからなかった。 「逃げられた?」  開かれたままの裏門を皇太弟は通り過ぎようとしていた。しかし、馬脚が急にゆっくりとなったかと思うと、騎乗の人はふらつき、そしてゆっくりに地に落ちた。 「やったわ」 「捕まえてこい。左肩をかすっただけだ。生きている」  兵士たちにユリスはそう命じた。  彼には月の光に照らされた皇太弟の姿がはっきりと見えていたのだ。兵士たちが走って皇太弟を捕まえに行く。サー・ロイドは息が絶え絶えで、出血が酷かったが、皇太弟はユリスが言った通り、左肩をかすっただけだった。しかし、その衝撃と傷みで気を失っていた。門まであと少し、ユリスの銃の腕が達者でなければ、逃げられてしまうところだった。 「尋問のために二人を手当せよ」 「御意」  一体誰がこの陰謀に加わり、そうでなかったのか――。アリッサは怯えた。 「お父さまがこの件に加わっていたら――」 「どうだろう……そうだとしても、アリッサとルシアナは俺が守るから安心しろ」  アリッサは自分のことなどより、父とルシアナが心配だったが、頷くほかなかった。宮殿はにわかに軍靴の音に満ちて、多くの裏切り者を捕らえた。 「アリッサ」  広間の横にある小部屋の戸を開けると、五十人ほどの皇帝支援貴族たちが座ることもできない有様で閉じ込められていた。その中にあったのは叔母だ。アリッサとルシアナはすぐに抱きしめる。 「なぜ、叔母さまがここに?」 「わかりません。どういう理由で分けられたのかも――」  叔母は皇帝と皇太弟の争いに関わっていなかったので、なにがなんだか理解できていない様子だったが、他の者たちはユリスの顔を見ると一様にほっとした面持ちになる。 「ご無事でなによりです、陛下」 「だれか、アルバン伯を見なかったか」 「アルバン伯ですか……」  父、アルバン伯は皇太弟派だ。そちら側にいるのではという風な視線を投げかけたが、逃げようとした貴族の中に父の姿はなかった。 「おそらく、屋敷にいるかと」  叔母が口を開く。 「実は、三日前に吐血したので、屋敷で休んでいるのです」 「……お父さまは大丈夫なのですか」  ルシアナがすかさず訊ねる。 「え、ええ。もう起き上がれるまでになっているわ。医者も大丈夫だと――」  毒だったのでは一瞬、アリッサは思った。父は鉱山を持つ、もし父になにかあれば、息子のいないアルバン家の財産は、娘の夫たる人のものになる。つまり、皇太弟ジュエルのものに――。アリッサは自分の推理にぶるりとした。 「ジュエルは捕らえた。残りの貴族たちも捕まえよ!」  ユリスの力強い言葉に、兵士たちは「はっ」と言い四方に散って隠れている謀叛に加担した貴族を探しに行った。 「私は無関係です」 「計画などなにも知りませんでした」 「お信じください、陛下」  そしてすぐに連れて来られた皇太弟の支援者たち、四十人ほど。彼等は次々に知らなかったという言葉を口にしたが、ジュエルとサー・ロイド二人でできることではない。衛兵たちを懐柔するのに金もいるし、計画も立てなければならない。外から連れて来たと思われるならず者も衛兵になりすましていたことからみても、パーティーに乗じて貴族たちが手引きしたとしか思えなかった。  全員跪かされて、男も女も手枷をつけられた。 「詮議が終わるまで地下牢に入れておけ」 「御意」  カルデン卿が指示をする。男たちはともかく夫人令嬢たちまでもはなんでもやり過ぎだと、アリッサは思ったが、詳しいことが明らかになれば釈放されるだろう。地下牢はそれほど広くない。この数をあそこに収容することは不可能だから。 「アリッサ、疲れているだろう? ルシアナとともに部屋に行った方がいい。護衛の兵士もつける」 「え、ええ……」  ここにいても邪魔になる。父の安否も心配だ。アリッサは叔母の手を取ると、三人で広間を後にしようとした。ほんの数時間前までは美しく飾り付けられたケーキがあり、煌びやかな金のスプーンが並んでいたのに、床には皿が落ちて割れており、白いテーブルクロスはぐちゃぐちゃで、飾られていた花は無残にも踏み潰されている。ただ、シャンデリアだけが煌々と灯りを照らしているから、その惨事は隠しようもなかった。 「行きましょう、アリッサ」  姉が肩を押した。アリッサは頷き、歩き出したが、誰かがアリッサの腕を掴んで放さない。「クレアーヌ」  横にいるのはヴィクトリアだ。 「助けてちょうだい。わたしは関係ないわ」  アリッサは冷たく彼女を見下ろした。 「あなたの父親が皇太弟殿下の資金源だったのに?」 「それはあなただって同じじゃない」 「同じじゃないわ」  はっきりとは言えなかったが、父の考えが読めず、アリッサは内心狼狽えた。しかし、少なくとも自分たちは謀叛に関わりがないことは胸を張って言える。 「謀叛に加担したか、しなかったかは調べればわかるわ。わたしはなにも恐れてはいない。だって、わたしはユリスの側だから」  イーザラン将軍の部下がクレアーヌをアリッサから引き離した。アリッサはできるかぎり、姿勢を正して歩いた。恨めしそうな皇太弟派の目が並んでいたからだ。 「なにも恥ずべきことはないわ。私たちは皇太弟殿下とは全く関係ないのだから」 「ええ。そうよ、お姉さま」  アリッサは叔母を連れて自分たちの居所、つまり皇太弟の後宮に戻った。侍女たちも捕まったのか、しんと静まり返り、すでに無人で水を一杯頼むこともできない。  アリッサは慣れたベッドにすぐに潜り込んだが、広間の方から聞こえる悲鳴や叫び声、怒号、なにかがぶつかり合う音が一晩中して、眠れなかった。  ――ユリスは大丈夫かしら……  もう一つの理由は父のこと。この謀叛騒ぎに加担していたのなら、処罰はルシアナを巻き込みかねないし、容体が本当に叔母の言う通り、大したものではないかが、心配だった。 「眠りなさい、アリッサ」  ベッドを叔母に譲ったルシアナが、アリッサの頭を撫でて共に寝る。アリッサは目を瞑って見た。夢はきっと悪夢で、恐ろしいものに違いなかった。
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