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《見送り》
菅公西下創造多故事(かんこうのさいかおおくのこじをうむ)
菅原道真公は宇多天皇に重用され、次の醍醐天皇の元では右大臣にまで上り詰めましたが、時の左大臣であった藤原時平の讒言(ざんげん)により、延喜元(901)年1月に大宰府へ大宰権の帥ちとして左遷されることとなり、味酒安行など少人数の伴連れのみで
、冬の瀬戸路を西下して博多の港に辿り着きます。
道真公の西下は各地にたくさんの伝承を遺し、その故事にちなんだ各地の天満宮が今でも各地で信仰を集めています。
かつてソラリアプラザにほど近い薬院新川(旧四十川)の畔の、中央区今泉(旧庄村)には、道真公が川面に己の姿を眺めた故事による容見み天満宮(又は四十川天神)がありました。
慶長17(1612)年に福岡藩初代藩主・黒田長政が城下を造営する際に、現在の中央区天神一丁目に社を移し「水鏡(すいきょう)天満宮」としました。
福岡の中心地「天神」の地名は、この天満宮に由来します。
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