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あいに染まり、黒に落ちる
障子越しに差し込む雨音は、深夜の宵闇が溶け落ちるようだった。二人きりの画室に凄まじい響きを立てている。
絵の具の匂いのする畳の上には、女流画家、夏川景藍が横たわっていた。
喘ぐような浅い息の合間に瞼を開くと、視界の中に血溜まりが広がっていく。
やがて、腹からこぼれた真紅は景藍の眼を染め、意識までも染めていった。
その様子はまるで恋心のようだ、と、景藍は思う。自覚したときは小さな点だったのに、じっとりとにじんで、ひろがって、心を染めていく。
けれど、自分の恋心はこんなにきれいな色をしていないだろう。さまざまな感情や欲望が混じって、黒く澱んでいる———景藍は自らを振り返り、そう思わずにはいられなかった。
誰かが自分を覗き込む気配がして、景藍は視線を上へと向けた。青色の和服に身を包んだ人物が、書院の紫陽花を背に、ひっそりと立っていた。その、景藍を見下ろす瞳は冷え冷えとしている。けれどその冷たさが胸に響いた。
愛していたのだ。
その眼も佇まいも、影を背負っているところも、自分を心から愛してくれたところも、全てを愛していた。だからこそ、一生忘れられない女でありたかった。
———全部、あなたが悪いんだ。
景藍は震える声に、小さくうなずいた。
手に包丁を持った人物は、景藍を睨みつけると、部屋を去っていった。遠ざかる足音を聞きながら、景藍は力を振り絞り、スカートのポケットから小さいパッケージ袋を取り出した。そして、それを口の中に入れた。
こうするしかなかった。
忘れられない女になるために。あの人の心に深い傷をつけるには、この方法しかなかった。
嗚呼、私はなんて黒い人間なのだろう。景藍の閉じた瞼の裏に涙が溢れ、目尻を伝っていく。その生々しいぬるさを感じながら、景藍は深い眠りに落ちた。
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