あいに染まり、黒に落ちる

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 短い、浅い眠りだった。  スマホが震える音がして、秋城仁平(あきしろにへい)は目を覚ました。どうやら警察署の駐車場に車を停めたあと、そのまま寝てしまったらしい。画面には、秋に展覧会を予定している、美術館の館長の名前が表示されていた。 『英泉(えいせん)先生も、大変なことになりましたね』  仁平は電話の向こう側に気づかれないように、そっとため息をついた。黒田英泉(くろだえいせん)は日本画壇の大家であり、仁平の師でもある。そして現在、夏川景藍殺害の容疑が掛かっており、警察で取り調べを受けている最中であった。しかし、事件は報道されていても、容疑者の名前は公になっていない。外部の人間が知っているとなれば、考えられるのは関係者が洩らした可能性だが、いったい誰がそんなことを‥‥。仁平は再び大きなため息をついた。   「その話は誰から聞いたのですか?」 『景藍先生のお弟子さんです。事件の報道を見てご連絡したときに‥‥少しだけ』 「それで、彼女はなんと言っていました?」 『英泉先生が嫉妬に狂い、景藍先生の作品を盗んで殺したと。まあ、僕も信じているわけではありませんがね』 「ええ、事実無根です。先生が親しい友人を殺すはずがありません」  殺害された景藍は、英泉の学生時代からの友であり、また良きライバルでもあった。  数々の展覧会で賞を取り、四十八歳の若さで日本画壇の大家に上り詰めた英泉に対して、景藍は誰の門下にも入らないまま、自由な創作活動を貫いていた。  英泉のほうが知名度はあるものの、どんなものも雅に、そして生き生きと描くことができた景藍は、雪舟の再来とまで言われ、公的な展覧会に出展せずとも、数多の美術愛好家に支持されていた。
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