episode 01 ようこそ東斗独身寮

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episode 01 ようこそ東斗独身寮

「おいっ、黒瀬(くろせ)!」  そんな先輩の声に呼び止められ、  和樹(かずき)は休憩ルームのコーヒーサーバに手をかけるのを躊躇する。 「やっぱ俺、猫舌なんだから、先に淹れさせろ」  色白でガリガリの先輩社員が、和樹に先んじてコーヒーサーバの前へと詰め寄る。 「あれ? さっきは、ぼくが先でいいようなこと言ってませんでした?」 「さっきはそう言ったかもしれんが、今は状況が違う」 「なんですか、状況って?」 「コーヒーミルクが、あとひとつしかない」  そう言われ、和樹がコーヒーサーバ脇のミルクポットを見ると、  たしかにコーヒーミルクが、あとひとつ。 「あっ、鼠屋(ねずみや)さんっ! ズルっ!」 「おまえ、補充しとけよ」 「鼠屋さんは、そういうとこばっかり、気が回るんですから」 「『そういうことばっかり』じゃない。俺は『全方位』に気が回るんだ」 「・・・・・・・(『女の子』以外はでしょ?)」 「何か言ったか?」 「いえ、なんでも?」  うららかな春も近づく、3月も中頃。  東京都に本社工場を構えるプラスチック成型メーカー、星色(ほしいろ)化成(かせい)株式会社。その2階の休憩ルームで、和樹はコーヒーサーバをめぐり先輩の鼠屋とじゃれ合っていた。  ひとしきりコーヒーサーバのボタンを取り合っていたものの、  そこは先輩後輩の既定路線、和樹があきらめた格好で決着がつく。  そんなとき、  休憩ルームのドアが開き、総務スタッフがせかせかと入ってきた。  そうして何枚もの通知を、掲示板に貼り始める。 「あ。もう3月だから、辞令か」  嬉々としてコーヒーを入れてニヤける 瓶底メガネの鼠屋を横目に、  和樹は掲示板へと近づき、総務スタッフの背後から辞令通知をのぞき込む。 「来期は意外と、異動があるんですねぇ・・・あ、福岡支店が縮小するんだ」  ぼんやりと鼠屋へ語り掛けた和樹が、ハタと気づく。  福岡支店。  そこは前々から、和樹が気になっていたところ。 --もしや・・・  そう思い和樹は、何枚もの辞令通知を上から下までなめるように視線を移動させ、  1枚1枚の内容を確認する。 「あ、あった」  そこには、あった。  和樹が、探していた名前。  『福岡支店 業務管理部の任を解き 本社 知財部への異動を命ずる 白咲(しらさき) 舞子(まいこ)』  その通知を見つけた和樹は、ドキリと心臓を高鳴らせた。  そうしてもう一度、まじまじと辞令を読み返す。  『白咲 舞子』  彼女は、和樹と同期入社の女性社員。  和樹は高専(こうせん)の出身なのだが、舞子は大卒なので同期と言っても2つ年上。今は28才だろう。  彼女は福岡の出身なので、入社当時から福岡支店への配属が決まっていた。  しかし入社直後の、本社で行われた2週間の入社オリエンテーション。  そこで、同期はお互いに仲を深める。  その当時、同期社員は全部で5人いたが、あれから6年が過ぎ、今でも残っているのは3人。  その当時和樹は20才(ハタチ)で、同期の中でもいちばん年下だった。  高専を出たばかりの、右も左も分からない自分を、ずいぶんと助けてくれた。 --舞子さん  入社オリエンテーションから、もう6年。  その間、ほとんど会っていない。  でも、  ずっと気になっていた。  綺麗で、凛々しくて、そして優しい、  女神のような女性(ひと)。  それが『舞子さん』  そんな舞子が東京本社、知財部への配属とは。  和樹は本社でまた、舞子にもう一度会えるのかと思うと、  なんだか気恥ずかしく、  でも、嬉しくて、  ほんわかと胸が高鳴る思いがした。  ◆◆◆◆◆ 「みんな揃ったかしら? じゃあ、白咲舞子ちゃんの入寮を祝って、乾杯したいと思いま~す」  そんな言葉に反し、頬に青々とした髭剃り跡が残る大柄な男性が、  野太い声で、  しかし、おしとやかな所作で、  ビールの入ったグラスを高々と掲げる。  舞子が、東京に出て来て暮らすことになった星色化成の東斗独身寮。  その寮長、赤澤(あかざわ) 譲司(じょうじ)だ。  舞子は昨日、九州から大きな荷物を携えて東斗独身寮へとやってきた。  今日はそんな舞子を歓迎するため、寮生同士で歓迎会を開こうと言うのだ。  歓迎会に出席している寮生は、全部で6名。  和気あいあいと、居酒屋で寮長の乾杯の挨拶を待っている。  その席の真ん中に座るのは、舞子。  栗色の長い髪におとなしめのウェーブをかけ、濃紺のパンツにすみれ色のウールニット。  シンプルカジュアルの装いで歓迎会に臨む。  そんな舞子は、顎に青髭の残る大柄な司会を見上げ、  そしてチョンチョンと隣の男性の肩を、人差し指でつつく。 「え? なんですか?」  肩をつつかれた和樹は、思わず舞子を振り返る。 「ねぇ、黒瀬くん。あの寮長さんって、男の人? それとも・・・」  小声で囁く舞子の視線は、相変わらず寮長にくぎ付けだ。 「それって・・・」  和樹は舞子の質問を受け、オネェ言葉を巧みに操る寮長を見上げる。 「アレかな?」 「寮長は、きっと『ソレ』ですよ」 「ソレっ?」  瞳をらんらんと輝かせ、舞子が和樹を振り向く。 「いえ、たぶんですよ。寮長のことは謎が多くて、誰もその『正体』をつかめてないんです」 「正体? ずいぶんミステリアスなのね」  そう言って、舞子がクスクスと笑う。 「でも黒瀬くんが寮にいてよかった。九州からひとり、こっち来て、私も不安だったから」 「いえ、ぼくもです。舞子さんとは、ほんと久しぶりですね・・・」  和樹がそう返答しようとしたところを、寮長が荒々しく遮る。 「ほらっ! そこっ!」 「「はいっ」」  和樹も、隣に座る舞子も、  慌てて背筋をピンと伸ばす。 「今から乾杯の挨拶するんだから、ちゃんと聞いていなさい!」 「「はい。スミマセン!」」 「それじゃあ舞子ちゃん。これからよろしくお願いしますねぇ~、かんぱ~い!」  寮長の野太い声が響き渡ると、 「「「かんぱ~い!」」」  寮の一同は一様に笑顔をたたえ、一斉にグラスを掲げてお互いのグラスを重ね合う。  舞子の、入寮歓迎会が始まった。
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