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福岡支店から東京本社へ転属を命じられ、会社の独身寮に住むことになった舞子。
昨日引っ越して来たばかりだが、今日は近くの居酒屋で、入寮の歓迎会を開いてくれるという。
舞子と寮の住人が一堂に会し、和気あいあいとテーブルを囲む。
「それじゃあ舞子ちゃん。これからよろしくお願いしますねぇ~、かんぱ~い!」
青髭の残る寮長の挨拶と共に、舞子の入寮歓迎会が今、始まった。
◆◆◆◆◆
「おいっ、黒瀬っ!」
色白でガリガリの男性が、瓶底メガネの奥にある眼をギョロつかせ、和樹を名指しする。
技術部での和樹の先輩、鼠屋だ。
「お前ばっかり、いつまでも白咲さんの隣に陣取るな。交代せいっ!」
和樹の腕を引っ張り上げ、舞子の隣から引きはがそうとする鼠屋を、向かいの席に座る小柄でキュートな女の子がたしなめる。
「あー、ダメダメ鼠屋さん。舞子さんに近づいたらダメだよ」
「なんだよ茜田、文句あんのか。邪魔すんな」
「舞子さーん、逃げてー」
目の前の女の子がそう言うものだから、舞子もにわかに席を立ち、鼠屋から少し距離を取る。
「えっとぉ、何かあるんですか?」
舞子の問いに、その女の子は真顔で答える。
「気をつけてね。あの人の半径50cm以内にいると、子供ができちゃうかもしれないから」
「えっ、子供?」
「おい、茜田。白咲さんの前で変なこと言うなよ!」
言われもない暴言を吐く女の子に、鼠屋は手で彼女の口を塞ごうとする。
「あっ、イヤっ、鼠田さん! 私まだ、お母さんにはなりたくないっ!!」
そう言って女の子も鼠田から逃げ回り、宴会の席がバタバタと騒がしくなる。
「そういうの、やめろよ! 俺の清純なイメージに傷がつくだろ」
「鼠屋さんが『清純』だったら、世に『不純』なんて人は、存在しなくなっちゃうじゃない!」
「お前そーゆうこと言って、人を貶めて楽しいのか?」
詰め寄る鼠屋に、
クリクリとした目を輝かせ、女の子が平然とした表情で返す。
「だって、そう言った方が鼠屋さん、嬉しいんでしょ?」
「なっ・・・何を、おまえっ!」
顔を真っ赤にした鼠屋が、余計なことを言う女の子の口を塞ごうと手を伸ばす。
「きゃー、犯されるー! 見て、舞子さん。これがこの人の本性なのよー!」
嬉々として女の子は、鼠屋の魔の手から逃げ回る。
2人のドタバタを横目に、少し引いた舞子が、和樹に耳打ちする。
「ねぇ、黒瀬くん。鼠屋さんってああ言ってるけど、どんな人なの?」
舞子は真顔で聞いて来る。
和樹も苦笑い。
「いえ別に、鼠屋さんはフツーにいい人ですよ。あれはただ、弥生さんがふざけているだけです」
「そうなんだ」
「弥生さんはそうなんです。ふざけるにしても、ちょっと度が過ぎるところがあるんです」
「そうなの?」
「はい。もう、こないだなんか・・・」
「おい、そこっ!」
そんな陰口を聞き逃さず、鼠屋から逃げ回っていた弥生が一変して和樹に睨みを利かす。
「そこ。余計なこと言うんじゃないわよ。ヘタレのくせに」
「はい?」
弥生の口撃の矛先がこっちに向き、和樹も焦る。
「こっちは事情を知ってるんだからね」
「事情? 何のことです?」
「経理部の桃木主任から、私、聞いちゃったんだから!」
桃木 小春。それは、舞子の同期。
同時に、和樹とも同期である。
大学院卒で入社したので、舞子より2つ年上。同期の中でも最年長、今は30才の良き妻だ。
「桃木さん? ・・・から何を?」
小春は同期なので、入社当時に和樹がしでかした黒歴史を、くまなく知っている。
変なことを蒸し返されないか、和樹の背中に冷や汗がつたう。
「言っちゃうよ!」
「別に、言わなくてもいいです」
「黒瀬君は、入社式のとき舞子さんに告白したみたいじゃない」
「は?」
「イヤ、告白しなかったみたいじゃない」
「どっちです?」
「どっちなの?」
和樹の質問に、弥生も質問で返す。
弥生も酔っ払っているので、話の要領を得ない。
ヤバイ。
そんな若かりし頃の黒歴史を、
舞子本人の目の前で、蒸しっ返す弥生の無神経さに、和樹の血の気が引く。
「なんだよ黒瀬。お前、白咲さんに告白したのか?」
弥生の口車に乗って、鼠屋も嬉々として和樹を問い詰める。
「えっ・・・と」
「で、どうだった?」
「そんなこと、してません」
「・・・ということは、やっぱりフラれたんか?」
「何が『やっぱり』ですか。だから『してない』って言ってるじゃないですか」
和樹は意識的に舞子から視線を逸らし、鼠屋の追及を避ける。
この話はもう、早く切り上げたい。
「まぁまぁ、鼠屋君。落ち着き給え」
嬉々として和樹を問い詰める鼠屋に声をかけたのが、
テーブルの端で梅酒の入った湯呑を傾けるゲジゲジ眉毛の男性。
色は浅黒く、フンと鼻息が荒い。
「これが落ち着いていられますかっ! 紺堂さん!」
浅黒い彼とは対照的に、色白な鼠屋が彼の隣に座る。
この2人は、なんだか仲が良さそうだ。
「黙っててください。今、大事な話をしてるんです。黒瀬の童貞の行方がかかっているのだから」
鼠屋が紺堂の隣に座ったことで、宴会の場が落ち着きを取り戻した。
「・・・・・」
先ほどの話題はうやむやになりそうだと、
そう期待して、和樹はことの次第をじっと見守る。
「まぁまぁ、鼠屋君。そして和樹君」
色黒の彼は、グイと梅酒を飲み干し、空になった湯呑を差し出す。
「それより、この飲み会が終わったら3人で、チンチロリンをやろうじゃないか」
「やりません」
鼠屋の代わりに、和樹が即答する。
「なぜだい? あ、そうか。和樹君は花札の方がいいのか。ならばよかろう『こいこい』で勝負しようじゃないか」
「『こいこい』も、やりません」
「ならば仕方ない。和樹君がそんなに『おいちょかぶ』をやりたかったとは・・・」
紺堂は次々と、和樹に賭け事の提案をする。
このまま紺堂の話につき合っていると、
終いには折れて、ほんとうにギャンブルにつき合わされそうだ。
「鼠屋さん」
不穏な動きの芽を摘むため、和樹は鼠屋に助けを求める。
鼠屋は紺堂と仲が良いので、同調してもらえればそれなりの抑止力になる。
「紺堂さんを、なんとかしてください」
「今はそれどころじゃないだろ? お前の童貞の方が大事だろうがっ!」
「それこそ、放っといてください!」
「いや、ほっとけない。茜田がどうしても知りたいって言ってたぞ?」
鼠屋が、弥生を話に巻き込んでくる。
「そんなこと弥生さん、ひとことも言ってませんよ!」
お酒を飲んで陽気になった鼠屋に、際限なくふざける弥生まで加わったら、それこそ手が付けられない。
冷静に飲んでいる紺堂を味方につけようにも、彼と話を合わすには、飲み会が終わった後にはギャンブルにつき合わなければならない。
なんとか窮地を凌ごうと和樹は、みんなに落ち着いてもらおうと頭を巡らせるが、
それぞれが特殊な盛り上がりを見せる寮生たちは、和樹の言うことなど聞いてくれない。
「黒瀬君、どうなの? ほんとうは告白したの?」
弥生が、嬉々として和樹を問い詰めてきた。
「おい、黒瀬。お前の童貞はどうするんだ?」
普段色白な鼠屋は、今はお酒を飲んでもう真っ赤だ。
「この近くに『チンチロリン倶楽部』があるんだ。いい所だぞ、行こうじゃないか?」
相変わらず紺堂は、空にした湯呑を差し出してくる。
「い、いや・・・」
この窮地を、和樹はなんとかしようとする。
だが、しかし
舞子だけは巻き込めない。
せっかく舞子が寮に来て、同じ建物に住めると喜んでいたのに、
これが寮の恥部(鼠屋、弥生、紺堂)を目の当たりにして、
彼女に愛想を尽かされ、寮から出て行かれてしまえば元の木阿弥だ。
ジリジリと舞子から距離を取る和樹の動きを見て、
弥生は勘づく。
和樹の弱点を。
それは、
舞子であると!
「そこんとこ、どうだったんですかぁ? 舞子さーん」
クリクリとした目を輝かせ、弥生が舞子にマイク(を象ったおしぼり)を向ける。
「え?」
「黒瀬君に告白されたんですかぁ? 真相はどうだったんですかぁ?」
飲み会は、徹底的に面白くなければいけない。
舞子へにじり寄る弥生の、それは揺るがない信条だった。
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