episode 01 ようこそ東斗独身寮

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 福岡支店から東京本社へ転属を命じられ、会社の独身寮に住むことになった舞子。  昨日引っ越して来たばかりだが、今日は近くの居酒屋で、入寮の歓迎会を開いてくれるという。  舞子と寮の住人が一堂に会し、和気あいあいとテーブルを囲む。 「それじゃあ舞子ちゃん。これからよろしくお願いしますねぇ~、かんぱ~い!」  青髭の残る寮長の挨拶と共に、舞子の入寮歓迎会が今、始まった。  ◆◆◆◆◆ 「おいっ、黒瀬っ!」  色白でガリガリの男性が、瓶底メガネの奥にある眼をギョロつかせ、和樹を名指しする。  技術部での和樹の先輩、鼠屋(ねずみや)だ。 「お前ばっかり、いつまでも白咲さんの隣に陣取るな。交代せいっ!」  和樹の腕を引っ張り上げ、舞子の隣から引きはがそうとする鼠屋を、向かいの席に座る小柄でキュートな女の子がたしなめる。 「あー、ダメダメ鼠屋さん。舞子さんに近づいたらダメだよ」 「なんだよ茜田(あかねだ)、文句あんのか。邪魔すんな」 「舞子さーん、逃げてー」  目の前の女の子がそう言うものだから、舞子もにわかに席を立ち、鼠屋から少し距離を取る。 「えっとぉ、何かあるんですか?」  舞子の問いに、その女の子は真顔で答える。 「気をつけてね。あの人の半径50cm以内にいると、子供ができちゃうかもしれないから」 「えっ、子供?」 「おい、茜田。白咲さんの前で変なこと言うなよ!」  言われもない暴言を吐く女の子に、鼠屋は手で彼女の口を塞ごうとする。 「あっ、イヤっ、鼠田さん! 私まだ、お母さんにはなりたくないっ!!」  そう言って女の子も鼠田から逃げ回り、宴会の席がバタバタと騒がしくなる。 「そういうの、やめろよ! 俺の清純なイメージに傷がつくだろ」 「鼠屋さんが『清純』だったら、世に『不純』なんて人は、存在しなくなっちゃうじゃない!」 「お前そーゆうこと言って、人を(おとし)めて楽しいのか?」  詰め寄る鼠屋に、  クリクリとした目を輝かせ、女の子が平然とした表情で返す。 「だって、そう言った方が鼠屋さん、嬉しいんでしょ?」 「なっ・・・何を、おまえっ!」  顔を真っ赤にした鼠屋が、余計なことを言う女の子の口を塞ごうと手を伸ばす。 「きゃー、犯されるー! 見て、舞子さん。これがこの人の本性なのよー!」  嬉々として女の子は、鼠屋の魔の手から逃げ回る。  2人のドタバタを横目に、少し引いた舞子が、和樹に耳打ちする。 「ねぇ、黒瀬くん。鼠屋さんってああ言ってるけど、どんな人なの?」  舞子は真顔で聞いて来る。  和樹も苦笑い。 「いえ別に、鼠屋さんはフツーにいい人ですよ。あれはただ、弥生(やよい)さんがふざけているだけです」 「そうなんだ」 「弥生さんはそうなんです。ふざけるにしても、ちょっと度が過ぎるところがあるんです」 「そうなの?」 「はい。もう、こないだなんか・・・」 「おい、そこっ!」  そんな陰口を聞き逃さず、鼠屋から逃げ回っていた弥生が一変して和樹に睨みを利かす。 「そこ。余計なこと言うんじゃないわよ。ヘタレのくせに」 「はい?」  弥生の口撃の矛先がこっちに向き、和樹も焦る。 「こっちは事情を知ってるんだからね」 「事情? 何のことです?」 「経理部の桃木(ももき)主任から、私、聞いちゃったんだから!」  桃木(ももき) 小春(こはる)。それは、舞子の同期。  同時に、和樹とも同期である。  大学院卒で入社したので、舞子より2つ年上。同期の中でも最年長、今は30才の良き妻だ。 「桃木さん? ・・・から何を?」  小春は同期なので、入社当時に和樹がしでかした黒歴史を、くまなく知っている。  変なことを蒸し返されないか、和樹の背中に冷や汗がつたう。 「言っちゃうよ!」 「別に、言わなくてもいいです」 「黒瀬君は、入社式のとき舞子さんに告白したみたいじゃない」 「は?」 「イヤ、告白しなかったみたいじゃない」 「どっちです?」 「どっちなの?」  和樹の質問に、弥生も質問で返す。  弥生も酔っ払っているので、話の要領を得ない。  ヤバイ。  そんな若かりし頃の黒歴史を、  舞子本人の目の前で、蒸しっ返す弥生の無神経さに、和樹の血の気が引く。 「なんだよ黒瀬。お前、白咲さんに告白したのか?」  弥生の口車に乗って、鼠屋も嬉々として和樹を問い詰める。 「えっ・・・と」 「で、どうだった?」 「そんなこと、してません」 「・・・ということは、やっぱりフラれたんか?」 「何が『やっぱり』ですか。だから『してない』って言ってるじゃないですか」  和樹は意識的に舞子から視線を逸らし、鼠屋の追及を避ける。  この話はもう、早く切り上げたい。 「まぁまぁ、鼠屋君。落ち着き給え」  嬉々として和樹を問い詰める鼠屋に声をかけたのが、  テーブルの端で梅酒の入った湯呑を傾けるゲジゲジ眉毛の男性。  色は浅黒く、フンと鼻息が荒い。 「これが落ち着いていられますかっ! 紺堂(こんどう)さん!」  浅黒い彼とは対照的に、色白な鼠屋が彼の隣に座る。  この2人は、なんだか仲が良さそうだ。 「黙っててください。今、大事な話をしてるんです。黒瀬の童貞の行方がかかっているのだから」  鼠屋が紺堂の隣に座ったことで、宴会の場が落ち着きを取り戻した。 「・・・・・」  先ほどの話題はうやむやになりそうだと、  そう期待して、和樹はことの次第をじっと見守る。 「まぁまぁ、鼠屋君。そして和樹君」  色黒の彼は、グイと梅酒を飲み干し、空になった湯呑を差し出す。 「それより、この飲み会が終わったら3人で、チンチロリンをやろうじゃないか」 「やりません」  鼠屋の代わりに、和樹が即答する。 「なぜだい? あ、そうか。和樹君は花札の方がいいのか。ならばよかろう『こいこい』で勝負しようじゃないか」 「『こいこい』も、やりません」 「ならば仕方ない。和樹君がそんなに『おいちょかぶ』をやりたかったとは・・・」  紺堂は次々と、和樹に賭け事の提案をする。  このまま紺堂の話につき合っていると、  終いには折れて、ほんとうにギャンブルにつき合わされそうだ。 「鼠屋さん」  不穏な動きの芽を摘むため、和樹は鼠屋に助けを求める。  鼠屋は紺堂と仲が良いので、同調してもらえればそれなりの抑止力になる。 「紺堂さんを、なんとかしてください」 「今はそれどころじゃないだろ? お前の童貞の方が大事だろうがっ!」 「それこそ、放っといてください!」 「いや、ほっとけない。茜田がどうしても知りたいって言ってたぞ?」  鼠屋が、弥生を話に巻き込んでくる。 「そんなこと弥生さん、ひとことも言ってませんよ!」  お酒を飲んで陽気になった鼠屋に、際限なくふざける弥生まで加わったら、それこそ手が付けられない。  冷静に飲んでいる紺堂を味方につけようにも、彼と話を合わすには、飲み会が終わった後にはギャンブルにつき合わなければならない。  なんとか窮地を凌ごうと和樹は、みんなに落ち着いてもらおうと頭を巡らせるが、  それぞれが特殊な盛り上がりを見せる寮生たちは、和樹の言うことなど聞いてくれない。 「黒瀬君、どうなの? ほんとうは告白したの?」  弥生が、嬉々として和樹を問い詰めてきた。 「おい、黒瀬。お前の童貞はどうするんだ?」  普段色白な鼠屋は、今はお酒を飲んでもう真っ赤だ。 「この近くに『チンチロリン倶楽部』があるんだ。いい所だぞ、行こうじゃないか?」  相変わらず紺堂は、空にした湯呑を差し出してくる。 「い、いや・・・」  この窮地を、和樹はなんとかしようとする。  だが、しかし  舞子だけは巻き込めない。  せっかく舞子が寮に来て、同じ建物(ところ)に住めると喜んでいたのに、  これが寮の恥部(鼠屋、弥生、紺堂)を目の当たりにして、  彼女に愛想を尽かされ、寮から出て行かれてしまえば元の木阿弥だ。  ジリジリと舞子から距離を取る和樹の動きを見て、  弥生は勘づく。  和樹の弱点を。  それは、  舞子であると! 「そこんとこ、どうだったんですかぁ? 舞子さーん」  クリクリとした目を輝かせ、弥生が舞子にマイク(を象ったおしぼり)を向ける。 「え?」 「黒瀬君に告白されたんですかぁ? 真相はどうだったんですかぁ?」  飲み会は、徹底的に面白くなければいけない。  舞子へにじり寄る弥生の、それは揺るがない信条だった。
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