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episode 02 特許と実用新案は管理技能検定で
「失礼します。おはようございます」
4月1日。
東京本社での初出勤日。
舞子は事務棟3階のドアを開け、あいさつをする。
今日は初出勤日なので、服装は紺のテーパードパンツに白ブラウスという、ベーシックで落ち着いたOL系ファッション。
舞子が事務所へ入るなり、早くから出社していた先輩社員が、振り向いて型どおりの挨拶を返してくれた。
本社初出勤で緊張しているであろう舞子を、暖かく迎えてくれる。
3階の面々は、みんな真面目そうだ。
「あ、舞子! おー、来たかい。おはよう!」
そんな中、気さくに声をかけてくれたのが経理部の小春。
2つ年上の舞子の同期社員だ。
昨日の歓迎会でも話題にのぼった、経理のキャリアウーマン。
「あ、小春サン。お久しぶりです」
小春は先日結婚したのだが、今でも仕事上では旧姓の『桃木』を名乗っている。
舞子は福岡にいたので、小春の結婚式には出席できなかった。だからもう、顔を合わすのはかれこれ2年振りくらいだ。
「今日からコッチなんで、よろしくお願いします」
「今日はお昼、なんか予定あるの?」
「いえ、特に聞いてないですけど」
「だったら一緒にランチ行こっか。この辺のお店、案内するよ」
慣れない本社の中でも、気の知れた小春がいることに舞子はホッとする。
朝から、そんなランチの話などしながら、
舞子は小春に案内してもらい、配属先の知財部へと向かう。
社長室、役員室、総務部、経理部そして広い商談スペースのある本社事務棟3階の中で、
知財部に割り当てられたスペースは、広さ6畳ほどの、こぢんまりとした一角。
多くの書架に囲まれ、真ん中で3つの机がひと固まりになった職場であった。
部屋のいちばん奥には、部長が座るべき机が空いている。
部長席の向かいで、黒いスーツの男性が書類の山に挟まれ、カタカタとパソコンへ打ち込み作業を続けていた。
黒スーツの男性の向かい側にある席は、何も物が置かれておらずキレイに整理されていたので、
おそらくこの席が、舞子の席なのだろう。
「おはようございます。今日からお世話になります、白咲舞子です」
そう言って舞子は、黒いスーツの男性へ向かい腰を折り、ペコリと頭を下げる。
「おはよう」
ふと顔を上げ、それだけ言うと男性はまた、パソコンに向き直り作業を続けた。
--えっとぉ
取りあえず舞子は、手に持ったカバンを置こうと思った。
だが男性からは、舞子の席を割り当てる言葉がない。
--机はここだって、紹介してくれないかなぁ
舞子は少し『手持ち無沙汰』感をかもし出して、空いている席の前でモジモジしてみる。
こうすれば、気づいてくれるだろう。
舞子の座る席を教えてくれさえすれば、そこから少し、机の引き出しの中を確認したり、福岡から持ってきた書類を机に詰めたりして、朝の業務開始のチャイムが鳴るまでの時間を、少しつぶせる。
しかし黒いスーツの男性は、
自分の手元ばかり見て、舞子の様子に気づこうとしない。
どう見ても、空いている席はひとつなのだから、早く紹介してくれればいいのに。
そう思って、ひたすら舞子は意味ありげな視線を男性に送る。
カタ カタ カタ・・・
彼のキーボードを叩く音は、軽く滑らかだ。
無言で、そして鋭い目つきで。
30代も中頃か、もしくは後半か。
仕事はできそう。
でも、愛想がない。
それが、舞子の抱いた第一印象だった。
「すみません。私、白咲って言います。今日からここに配属されました。席はここで、よろしかったでしょうか?」
いつまでも舞子の席を紹介してくれなさそうだったので、改まって舞子から声をかけてみる。
彼の目の前にある空き机に、軽く指を置いて。
「君は・・・」
男性が、パソコンから顔を上げる。
「はい」
「こっちの部長席が、自分の席かもしれないと思ったのかね?」
「はい?」
「ここには席が3つしかない。ひとつは部長席、そしてもうひとつは私の机だ。見れば分かるだろう」
そうして男性は、再び資料に目を落とし、ページを一枚めくった。
--なんなの、この人?
あきれた舞子は、ドスンと少し乱暴めに自分のカバンを机へ置き、
わざと音を立てて椅子を引き、着席した。
それでも彼は、舞子の様子など気にする素振りなどない。
こんな人と、新しい職場で、
まったく経験のない『知財』という仕事を、
うまくやっていけるものなのか?
そう思って舞子は、
この先が不安になった。
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